yamachanのメモ

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『正義について考えよう』を読む

猪瀬直樹東浩紀『正義について考えよう』を読んだ。

正義について考えよう (扶桑社新書)

正義について考えよう (扶桑社新書)

 

安保法制や新国立競技場問題等の個別テーマについての議論そのものも大変興味深かったけど、最も興味深かったのは、それらの議論から伝わってくる猪瀬直樹氏の思想や価値観である。例えば、次の箇所である。

東 面白いと思うのは、猪瀬さんが学生時代に、信州大学全共闘議長でありながら、「活動家がイデオロギーの闘争をやっていても、動かすのは官僚だよね」という考えの下で活動していたことです。そのねじれが猪瀬さんの政治への距離を規定している。政治家が何かいろいろ議論している。でも、そんなの知ったこっちゃない。期日をしっかり決めて動かしているのは我われであり、ロジスティクスが大事なんだという官僚的メンタリティを猪瀬さんはすごくお持ちであり、しかし同時に官僚批判をしている。

猪瀬 だから、話を決めなきゃいけない。政治家たちが議論をするけど、こっちは具体的に実際のプランを立てなければいけない。

東 官僚的発想ですね。

猪瀬 官僚は自らを否定するプランはつくれないので、道路公団民営化というプランを私がつくった。(116-117)

そして、猪瀬氏は次のように指摘している。

巨大な官僚組織のなかで、あらゆる細かい政策は、ほとんど課長や係長がやっている。それを政治家が知ろうとすることは、ほとんど認知限界で無理なんです。むしろ、そのために官僚機構は構築されている。

だから、そこにどうやって食い込んでいくのかというプランを出すには、やっぱり作家の想像力や分析力を生かして、どこか違う切り口から入っていくしかない。(118)

石原慎太郎についても「作家として官僚を超越する構想力はもちろん、それを伝える言葉を持っていた」と評価している(132)。また、『思想地図beta VOL.1』の鼎談「非実在青少年から「ミカドの肖像」へ」でも、猪瀬氏は「僕は政治家ではなく作家の感性で課題を発見しているのです」(拾壹)と語っている。僕は、猪瀬氏のこの感性、つまり、官僚的発想を持ちつつも、それを超越する想像力・構想力を志向するという態度に興味がある。この観点から、東氏の次の発言は重要である。

猪瀬さんは本来、政治家というよりも官僚タイプで、だからこそ官僚制の自己増殖と機能不全に苛立ち続けている。実際、政治家としてイデオロギーを打ち出したことは、まったくといっていいほどない。副知事時代の関心も、徹底してインフラの改良にあった。『欲望のメディア』文庫版の解説にも書きましたが、その点で、猪瀬さんはとても特殊な政治家だったっと思います。(128-129)

この「だからこそ」という気持ちを持つことができるかどうかが大切で、多くの官僚タイプの人間は「だからこそ」という気持ちを持つことなく、官僚制の自己増殖の一端を担うことになる。そして、僕自身はおそらく官僚タイプの人間であり、「だからこそ」官僚制に苛立っているのだと思う。

僕は作家としての構想力や想像力を持っていない。でも、哲学や思想、政治学や行政学を学ぶことで官僚制を超越する構想力や想像力を持つ人間になりたい。そう思って、日々勉強φ(..)