yamachanのメモ

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「ヘーゲルの経験概念」を読む⑤

精神現象学』の「緒論」第5段落は短い。でも、本段落には、「現象する知」「自然的意識の道」「魂」「経験」「精神」等の概念が出てくる非常に重要な段落。ハイデガーは次のように説明する。

現れ出る知を展示することとは、自然的な意識が学に至る道程のことである。その途上では真ならざるものという見かけがますます脱落するのであるから、この道程は魂が精神へと浄化される道程なのである。単なる現れ出る知を展示することは、<itinerarium mentis in Deum〔神ニ至ル精神ノ旅行記〕>なのである。(164ー165)

現れ出る知の展示、すなわち現象学は、諸現象に準拠している。この展示すなわち現象学は、経験の道程を歩む。それは自然的な表象することを一歩一歩、哲学という学の境域の中へと案内する。(165)

現れ出る知の現れ出るということは、この知の真理なのである。現れ出る知をそれが現れ出ることにおいて展示するということは、それ自身学なのである。この展示がそこから始まる時機において、すでにその展示は学なのである。(165-166) 

次段落以降で詳しく説明されているが、本段落でも出てくる「自然的な意識」という概念がよくわからなかった。そこで、飛田満『意識の歴史と自己意識-ヘーゲル精神現象学』解釈の試み』を読んでみると、次のような説明があった。

「日常的な」意識のみならず「科学的な」意識もまた「自然的な」意識であり、或る時代の教養段階を代表するものという意味での「歴史的な」意識さえ「自然的な」意識である。では「自然的な」意識とはいかなる意識なのかと言えば、それはおよそ「或るものについての意識」(Bewußtsein von etwas)である。言い換えると、それは素朴に対象に関係づけられた意識、対象に対して直向的な(geradehin)態度をとる意識である。自然的意識の本質を成すものは、こうした「志向性」(Intentionalität)であると言えよう。(101)

この「自然的な意識」についての説明もそうだけど、本書は『精神現象学』の諸概念を理解するうえでも役立つ。本書も、本屋をぶらぶらしていてたまたま出会った一冊。本屋ってやっぱりいいよなぁ。

意識の歴史と自己意識―ヘーゲル『精神現象学』解釈の試み

意識の歴史と自己意識―ヘーゲル『精神現象学』解釈の試み

 

「魂が精神へと浄化される道程」、このことを理解するためにも『精神現象学』を読み進めなくてはいけない。