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『メディアと自民党』から「政治」を学ぶ

西田亮介『メディアと自民党』を読んだ。一言で感想を言えば、これまで-現代-これからの政治を考える上で重要だし、分析としても素晴らしい本だから、是非多くの方に読んでほしい。

メディアと自民党 (角川新書)

メディアと自民党 (角川新書)

 

本書は、「政治」「有識者」「メディア」というステイクホルダーを取り上げ、現代日本のメディアと政治の構図を分析している。そこで西田氏は、自民党のメディア戦略の変化として、「慣れ親しみの時代」(2000年代以前)、「移行と試行錯誤の時代」(2000年代)、「対立・コントロール期」(2012年)という区分を提示し、先行研究となる文献や、様々な資料、取材等から、メディアと政治の状況を論じている。歴史的視座からメディア戦略を分析しており、自分たちの立ち位置を知ることもできる、本当に面白く、勉強になる一冊だった。

また、「イメージ政治」に対して、西田氏が指摘していることも興味深い。

特定の政党による政治のメディア戦略と広報手法の寡占は、やはり健全な状態であるとはいえないだろう。政治が有権者のイメージや印象によって駆動する「イメージ政治」を過剰に促進しているともいえる。

ここでいう「イメージ政治」とは、有権者が、知識や論理にもとづいて理性的に政局を認識することができず、また政治も印象獲得に積極的に取り組むことで、「イメージ」によって政治が駆動する状態のことを指す。(234)

彼ら(SEALDs)はお洒落で、インターネットやソーシャルメディア、動画配信といった手法を活用する。それだけではない。マスコミや既存政党、政治団体のリソースやノウハウも巧みに活用しているようだ。…

党派性に乏しく、安保法案に反対する人たちを代表する存在でさえないという。とはいえ、哲学者ネグリとハートらが主張するところの、現代の流動化した社会における不安定さを逆手に取った抵抗する存在としての「マルチチュード」を意識したものだろう。

彼らもまた「イメージ政治」を駆使する現代的な存在といえる。(250)

この「イメージの政治」に対する記述は特にそうだが、本書を読んで思い出したのが、猪瀬直樹東浩紀『正義について考えよう』の次の箇所である。

猪瀬 …政治家という職業についての認識が少し足りなかったことが私の間違いだったと思う。もっと政界のルールを知っておくべきだったと思うしね。それは当然、考えておかなければいけない事柄だったということです。

東 もう少しだけ明確にしたいのですが、猪瀬さんの言う「つねに選挙のことを考えている政治家」は、いまの日本で政治家をやっていくためには必要かもしれないですけど、本来政治家はそうあるべきではないと思います。いかがですか。

猪瀬 …民主主義というのは非常に難しい。政治家はどういうキャンペーンを展開していくべきか、どういう選挙行動を取るべきか、といった課題をいつも抱えている。…(123-124)

東 …5000万円を借りなかった、もしくはその問題を乗り越えることができたとしても、盆踊りに年200回、300回行ってないとクリアできないような問題はほかにもたくさんあったのではないでしょうか。そういう意味で、日本の政治は、特殊な訓練を積んでいる人間じゃないと、すぐに足を掬われてしまう世界である。それそのものが、日本の政治が抱える問題だと思うのですが。

猪瀬 それはおっしゃる通りだと思いますよ。(124-125) 

猪瀬氏と東氏との議論は、イメージ政治やメディア戦略に直接言及している話ではないが、西田氏が論じている問題と深く関わっているように思える。それは、西田氏が『メディアと自民党』の「あとがき」で語っている「「情」の政治」(251)の活発化、しかもそれが与党という権力側だけではなく、その権力を批判する側においても活発化しているという「政治」の問題である。西田氏は、次のように指摘している。

「情」が先行する現在の世の中において、いかに「理」の政治を取り戻すか。そして「理」の政治情報のプラットフォームとなるのは、マスメディアなのか、それともネットメディアなのか。いずれにせよ、政治の伝え方への新たな試行錯誤が求められている。(252-253) 

私も、西田氏とは別の仕方で「「理」の政治」をを取り戻していきたいと思っている。