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yamachanのメモ

日々の雑感や文献のメモ等

フィヒテから学ぶ学問に対する誠実さ

学者が、最近の政治状況を批判している様子を見て思い出すのが、フィヒテの『ドイツ国民に告ぐ』である。

フィヒテ全集 第17巻 ドイツ国民に告ぐ・政治論集

フィヒテ全集 第17巻 ドイツ国民に告ぐ・政治論集

 

フィヒテは、思想家・学者・著述家に対して次のように語りかける。

この連続講演は、さらに別の観点からも、皆さん〔の中で〕なおも思想家・学者・著述家の名に値する方々に、次の事を切望するものである。すなわち、すべての身分で普遍的に認められる浅薄、無際限の饒舌、真摯と徹底への軽蔑、これ等に対する皆さんの嘆きは、実際もっともであると言えよう。しかし、それらの身分すべてを教育してきたのは、一体どの身分であるか?学問的なことすべてを遊戯に変えてしまい、幼い頃から彼らに小利口や饒舌の手解きをしてきたのは、一体どの身分であるか?学校を卒業した者達を今も引き続き教育しているのは、一体誰であるか?〔我々の〕時代が無感覚である明白な理由は、<皆さんの書いた著書を読んだ所為で時代が無感覚になった>ということである。…

特に…政治家・官僚に関して言えば、彼等は皆さんの許で教育を受けた。皆さん自身がそう言っている。そのように彼等が〔教育を受けている〕期間を皆さんが利用して、少なくとも、学問に対する無言の敬意をいくらかでも彼等に起こさせることを、また、特に上流身分の若者の自惚れを早いうちに砕き、身分や出自は思考の問題にあっては何も役立たないと教えることを、してこなかったのは、なぜなのか?もし仮に皆さんが以前から〔上流身分の〕若者に媚びて彼等を不相応に煽て上げてきたのであるとすれば、皆さんは、自らの惹き起こした結果を引き受けなければならない!(『フィヒテ全集 第17巻』266-267)

学者による政治家や官僚への批判は、学者自身へ還ってくるということを認識しているのか?(認識せよ!)、学者が批判している現在の政治状況に対する「責任」を、学者自身は引き受けているのか?(引き受けよ!)、とフィヒテは呼びかけているのである。

僕は学者ではなく、実務家であるけど、学問に対して(いくらかの)敬意を持っている。「仕事をするうえで学問なんか役に立たない」と学問を軽蔑する人には全く同意できない。様々な研究書を読んで、学問の成果を駆使して問題を解決していくことにより、学問を非難する人に学問の大切さを知ってもらえるよう実践している。それくらいには学問に敬意を抱いている。

だからこそ、学者には現在の政治状況に対する「責任」を引き受け、政治批判(非難)で声を大きくするのではなく、自らが実践する教育を見直し、よりよい政治家や官僚、市民を生み出すような努力をしていただきたいと思う。