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yamachanのメモ

日々の雑感や文献のメモ等

ヘーゲルとフッサールについてのメモ

哲学・思想 読書 研究会

ハイデッガー全集 第32巻 ヘーゲル精神現象学』』を読んでいると、ヘーゲルフッサールの差異に関する言及があったのでメモ。

ヘーゲル『精神現象学』 (ハイデッガー全集 第32巻)

ヘーゲル『精神現象学』 (ハイデッガー全集 第32巻)

まずは、「経験」概念について、ハイデガーは次のように語る。

わたくしたちは「経験」の二つのグループと概念とを簡単に次のように区別する。

(1)経験をするー何か或ることについての意見を、直観によって事柄自身に照らして証明し、その正しさを確証する。

(2)経験をするー事柄自身に、それに関して真実にはどのようになっているのかを、言いかえればそれ自身の正しさを示させる、すなわち事柄自身に自己をその真実のあり方において示させる。(37) 

そして、ハイデガーは、「この<経験の>第一の意味において本質自身を与える直観は現象学的な直観」であり、「そのような直観は、事柄自身をよりどころとして、すなわち、この事柄に関してどのような状態になっているかということ、このことをよりどころとして直観である実を示すのであるから、この直観もまた経験と呼ぶことができる」と指摘し、フッサールも経験の概念をこのような意味において用いていることを指摘している(38)。

一方、ヘーゲルについては、次のように説明している。

さて『現象学』の表題-意識の経験の学-のなかに現れるヘーゲルの経験の概念は、決して今日の現象学が用いる上述の経験の概念の方向に沿うものではない。その強調点は、直観による正しさの確証という意味契機のうちにはない。(38)

ヘーゲルの経験概念は、むしろ、経験という語の意味の第二のグループの方向に沿う。つまり或ることについて経験をすることによって-それも否定的かつ肯定的な意味において-この或るものが自己をその真実のあり方において示す、あるいは、この或るものが最初見えた通りにではなく、真実にはそれとは別の仕方で有ることを経験する、このような意味の方向に沿う。…経験は意識においてなされる。意識が経験の対象である。 (39)

以下、意識の経験についての説明が続き、この箇所も重要であるが、とりあえず今回はヘーゲルフッサールとを比較しているところをメモ。以下は、「現象学」についての説明。

 ヘーゲルは精神ないし意識についてのみ「現象学」という表現を用いている。しかも、精神ないし意識が現象学のもっぱらのテーマであるという理由のためにではない-フッサールはそのような仕方で「意識の超越論的な現象学」について語っているが。フッサールの「意識の超越論的な現象学」は、意識を、その純粋な自己構成において、そしてそれとともに対象についての意識の総体を構成しつつ探求する。…ヘーゲル精神現象学の概念においては、精神は現象学の対象ではない。「現象学は」何か或るもの-例えば精神-についての研究や学問のための表題では決してない。現象学は、精神自身がどのように有るか、という場合のそのあり方であり、例えばただ単に他の多くのもののなかの一つのあり方といったものではない。精神現象学は、精神の本来的かつ全体的な出現である。誰の前に<現れる出るのか>。それ自身の前にである。現象であること、現象することは、現れ出ること、詳しく言えば次のような仕方で現れ出ることを意味する。すなわち、何か別のものがこれまでのものに直面して自己を示し、しかも現れ出るものがこれまでのものに対立して現われ出、そしてそこでこれまでのものが仮象になってしまうという仕方で現れ出ることを意味する。(44)

精神現象学』は、今日の意味での、つまりフッサールが言う意味での意識の現象学とは一切-テーマにおいても、その取り扱い方においても、そしてとりわけ根本問題の設定と意図とにおいて-関わりをもたない。…<『精神現象学』と今日の意識の現象学との>明確な区別は、両者を本当に理解しようという関心を持つとき、必須である。あらゆるものが「現象学」を自称する今日、いっそう、明確な区別が必要である。(52)

ヘーゲルの『精神現象学』は今日の意味での現象学でもないし、哲学の様々な立場の類型論でもないし、哲学への導入でもない。『精神現象学』はそのどれでもない。では何であるのか。わたくしたちが今ここですでに言いうる限りでは、『精神現象学』は理性(ratio-λόγος)の絶対的な自己叙述である。西洋の哲学の主導的かつ根本の問題によって要求され、ドイツ観念論によって要求され、ドイツ観念論によって一つの定まった方向へと-しかも決して恣意的にではなく-強いられた理性の絶対的な自己叙述である。この理性の本質と現実性とをヘーゲルは絶対的精神のうちに見出している。(54)

ハイデガーに「『精神現象学』は、今日の意味での、つまりフッサールが言う意味での意識の現象学とは一切関わりをもたない」と断言されると、「そうなのか…」となってしまう。でも、とりあえずは引き続き要勉強。

ヘーゲル精神現象学』を通じて学ぶことはたくさんある。とても面白い。以前に一人で読んだ時には、ここまでちゃんと読まなかったから、研究会・読書会というのはやはり大事。