仕事から家に帰ると、楽しみにしていた『ゲンロン 1』が届いていた。
楽しみにしていたのが「特集 現代日本の批評」。大澤聡『批評メディア論』や、柄谷行人編『近代日本の批評』を興奮しながら読んだ僕にとって、この特集は最高。「年表 現代日本の批評1975-1989」もあり、ここで重要度が高いものとして取り上げられている本は手にしたくなる。このような歴史の参照は重要。
そして、東浩紀「創刊にあたって」の発言が素晴らしい。
哲学は…なにか別のことが楽しいと思って取り組み、そちらに近づいていったら、いつのまにか引き寄せられてしまう罠のようなものだ。「ふまじめ」なことを考えてしまっていたらいつのまにか「まじめ」なところに行き着いてしまう、あるいはその逆の迷子の経験、それこそが哲学の本質なのである。…
…思想書とは、本来は、もっと自由で、いいかげんなものではなかっただろうか。それは、多様な人々が、それぞれの関心に基づいて多様な場所に赴くための知のターミナル-ジャック・デリダ風に言えば「郵便局」-だったのではないだろうか。(30)
かつて、日本経済がまだまだ好調で、ポストモダニズムのブーム華やかなりし一九八〇年代のころ、日本にはヨーロッパ的な構築がなく、制度は穴だらけなので、この国では脱構築は必要ないのだとしたり顔で語られたことがある。三〇年を経たいま振り返れば、それはまったくのまちがいだったことがわかる。日本は硬直した国だ。境界だらけの国だ。ぼくたちには脱構築こそが足りていないのである。(32-33)
楽しいと思って近づいてみたら引き寄せられた、ふまじめなことを考えていたらまじめなところに行き着いた、今の僕はまさにその通りの状態であり、このある種の「不安定さ」こそが快楽なのである。