いつか真面目に読もうと思って購入しているハイデガーの著作をパラパラするときがある。今日は、崩れた本の山から出てきた『技術への問い』を手にした。
- 作者: マルティンハイデッガー,Martin Heidegger,関口浩
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2013/11/12
- メディア: 単行本
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本書に収録されている「技術への問い」の中で、ハイデガーはヘルダーリンの詩「パトモス(Patmos)」から次の言葉を引用している。
「しかし、危険のあるところ、救うものもまた育つ。」(51)
ハイデガーにとって、「「救う」とは、本質のうちに取り戻すこと、そのようにして本質をはじめてその本来の輝きにもたらすことである」(51)。この「危険」と「救う」ことについて、ハイデガーは次のように語る。
どのようにして、危険のあるところに救うものもまた育つのだろうか?なにかが育つところに、そのなにかは根ざし、そこから成長する。根ざすことと成長することというふたつのことは、 伏蔵され、静かに、それにふさわしいときに生起する。しかし詩人の言葉にしたがえば、危険があるところで救うものを直接になんの準備もなく捉えうるというようなことを、われわれはまさに期待してはならないのである。だから、われわれはいまやあらかじめ次のことを熟慮しなければならない。すなわち、救うものは、最大の危険であるもののうちに、つまり集-立の支配のうちに、どのようにしてそのもっとも深いところにさえ根をはり、そしてそこから育つのだろうか、ということである。このことを熟慮するためには、われわれの道において最後の一歩を踏み出して、危険をいっそう明らかな眼差しをもって洞察することが必要になる。(52)
そして、「技術への問い」は、次の言葉で締めくくられる。
われわれが危険に近づけば近づくほど、それだけ救うものへの道は明るく光はじめ、それだけいっそうわれわれはよく問うようになる。というのは、問うことは思索の敬虔さ〔Frömmigkeit〕 なのだから。(66)
「ふさわしいときに生起する」という点では、熟慮するだけでは救うものは育たず、「熟慮しなければならない」という点では、待ち構えるだけでも救うものは育たない。われわれは、「熟慮すること」を通じて「ふさわしいときに生起する」なにかを、待ち構えておく必要がある。
「○○が危険だ!」「○○の危機だ!!」と騒ぎ立てる前に、ハイデガーの言葉に耳を傾け、危険や危機の本質について考えるような人間でありたい。