yamachanのメモ

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隠れた真実への探求ー『ゼロ・トゥ・ワン』を読む

仕事でもやもやしたことがあった時は、ビジネス書を読む。今日読んだのは、昔購入していた、ピーター・ティール『ゼロ・トゥ・ワンー君はゼロから何を生み出せるか』。

ゼロ・トゥ・ワン―君はゼロから何を生み出せるか

ゼロ・トゥ・ワン―君はゼロから何を生み出せるか

本書はビジネス書である。だけど、「日本語版 序文」で瀧本哲史氏が述べているように、「未来を担う若者に勧めたい」(12)一冊。加えて、哲学や思想に関心がある人にも手に取ってもらいたい。

例えば、本書では「あいまいな哲学」という箇所(103~)で、古代哲学者は悲観的、近代的な哲学者は楽観的であるという枠組みを提示して、ロールズ等の「あいまいな楽観主義者」を「あいまいな楽観主義はそれ自体矛盾している。誰も計画を持たないのに、どうして未来が良くなると言えるだろう?」(110)と批判し、「ジョン・ロールズを哲学界から追放しなければならない」(114)とまで語る。ここだけ読むと、「何を言っているんだ?」ということになるが、次のティールの発言を読むと、確かにそうだと思えてくる。

頭脳と善意だけでは、こうした人々で溢れかえる世界に変化を起こすなんてことは不可能だ。(114)

「世界に変化を起こすことなんて考えていない」という人は、8章の「隠れた真実」を読んでほしい。そして、次の発言に耳を傾けてほしい。

隠れた真実が存在しない世界では、完全な正義が実現していることになる。一方で、どんな不正義も、はじめからそこに道徳的な問題を見出すのはごく少数の人々だ。そして、民主的な社会では、大半の人が不正義だと思わない限り、間違った慣習が続けられる。奴隷制度をはじめから悪だと思っていたのは、少数の奴隷廃止論者だけだった。「奴隷制が悪い」という考え方は今では常識だけれど、一九世紀のはじめにはまだ隠れた真実だった。今の時代に知られざる真実はないというのは、隠れた不正義が存在しないというのと同じことだ。(137) 

隠れた真実を探求する者(≒哲学者)は世界に変化を起こすような人間である、ということができると思う。あえて言えば、世界に変化を起こす気がない人間は、隠れた真実を探求する者ではない、とまで言えるのではないか。

そして、ティールは次のように語る。

隠れた真実はまだ数多く存在するけれど、それは飽くなき探求を続ける者の前にだけ姿を現す。…隠れた真実は、僕らが知りたいと要求し、強引にでもそこに目を向けなければ、決して学ぶことはできない。(140)

本書はビジネス書ではあるが、隠れた真実を探求するという姿勢の意味を考える上でも重要な一冊である。