今日は、牧野雅彦『精読アレント『全体主義の起源』』の読書会に参加。
- 作者: 牧野雅彦
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2015/08/11
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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初めてお会いした方たちばかりだけど、色々とお話ができて勉強になったし、楽しかった。本当にありがとうございましたm(__)m
さて、予想外に盛り上がったのが、「忘却の穴」の議論。本書の中で、「後にアレント自身も「完全に忘却は不可能だ」と修正している」(213)と説明されているけど、どこだったかなーと思って調べてみると、『イェルサレムのアイヒマン』であった。
全体主義的支配が、善悪を問わず人間の一切の行為がそのなかに消滅してしまうような忘却の穴を設けようとしたことは事実である。しかし殺戮のすべての痕跡を除去しようとする…ナツィの一九四二年六月以後の別に浮かされたような試みが失敗を運命づけられていたと同じく、反対者たちを<言葉もなくひとに知られぬままに消滅させ>ようとするすべての努力も空しかったのである。忘却の穴などというものは存在しない。人間のすることはすべてそれほど完璧ではないのだ。何のことはない、世界には人間が多すぎるから、完全な忘却などというものはあり得ないのである。かならず誰か一人が生き残って見て来たことを語るだろう。従って何ものも<実際問題として無益>ではあり得ない、すくなくとも長い目で見れば。(180)
ちなみに、東浩紀『存在論的、郵便的』の61頁においても、同様の箇所が参照されている。
そして、「忘却の穴」の話が盛り上がったために、購入して読み直そうと思った本が、高橋哲哉『記憶のエチカ-戦争・哲学・アウシュヴィッツ』。
記憶のエチカ――戦争・哲学・アウシュヴィッツ (岩波人文書セレクション)
- 作者: 高橋哲哉
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2012/10/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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あと、これは読書会の前に購入していたものだけど、市田良彦・王寺賢太『現代思想と政治ー資本主義・精神分析・哲学』も入手。市田良彦「現代思想と政治をめぐる序」と、小泉義之「ドゥルーズ/ガタリにおける政治と哲学」しか読んでいないけど、両論文とも刺激的。特に、小泉氏がラクラウの議論を取り上げて、次のように指摘していることは興味深い。
ラクラウの論述は、特定の統一性と全体性のもとで、失敗や不発を繰り返してもある種の安心立命が成立する次第に拘泥しているのである。しかし、それこそが、国家に服することによって成立している事態ではないのか。(64)
このあたりのことは、ラクラウの著作もちゃんと読んで考えたいところ。
アレント読書会では、(基本的)人権やデモの話も出てきて盛り上がった。アレントを研究している人の中でも、その解釈や社会認識も異なっている点が(もちろん)あり、話を聞いているだけで大変興味深く、勉強になった。この刺激を力に、また明日から仕事をがんばろう。