yamachanのメモ

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張一兵『レーニンへ帰れ』をとりあえず買ってみた

ほとんど読めていないヘーゲル『論理の学』を読み解くためにも、「特集 ヘーゲル大論理学(概念論刊行200年)」目当てで『情況2016年6=7月号』を購入したところ、「張一兵『レーニンへ帰れ』(書評特集:第1弾)」という特集を発見。寄川条路「レーニンを脱構築するポストモダン中国哲学」、稲葉守「他者性の鏡像理論から実践的客観的弁証法へ」を読んで、張一兵『レーニンへ帰れ』をどうしても読みたくなったので購入。

レーニンへ帰れ―『哲学ノート』のポストテクストロジー的解読

レーニンへ帰れ―『哲学ノート』のポストテクストロジー的解読

 

ジジェクの推薦文も掲載されているので、一部を紹介。

張一兵教授のこの新しい本は、ただ中国社会主義建設のためだけのもではなく、その哲学的深みの中から共産主義の試みを復活させたいと思う人々全員にとって重要となるメッセージを含んでいる。 

本書に関心を持ったのは、寄川氏と稲葉氏による次のような評価が興味深かったからである。まずは、寄川氏は次のように述べている。

著者の解読モデルを当てはめると、レーニンはマルクスエンゲルスの政治学、経済学、歴史学社会学に関する文献を当たってみたが、現実に対応する答えを見つけ出すことはできなかった。しかし、ヘーゲル哲学を読み解く過程で自らの思想構造を形成し、マルクスのなかに存在を創造し改変する実践的な弁証法を見いだした。このようにして著者は、テキストに向き合ってテキストの行間を読み取り、イデオロギーの幻像を拭い去ったあとに、あらためて歴史的事実を再現していく。これが「レーニンへ帰れ」という著者の主張である。(『情況2016年6=7月号』32-3)

一方、稲葉氏は『レーニンへ帰れ』を次のように評している。

私は ヘーゲルの主著『大論理学』に向き合った弁証法家レーニンの動揺の描写、レーニンの変貌、それから大きな変身、新しいレーニンの誕生、これらを一遍の小説を読むように読んだ。それは面白かった。しかし問題は物語にあるのではなく、レーニンの到達点として著者によって提起された哲学上の諸命題にるから、それをどう考えるのかということになるが、その点を敢えて答えるなら、私は著者の主張に同意することはできず、著者の論証に賛成できないといわなければならない。問題は実はそれ以前にあるが、私は著者の啓蒙の目的に疑問を抱かざるを得なかった。つまり疑問点が多かった。おそらく本書は成功しないと思う。(同35)

寄川氏が評価している「ポストモダンのテキスト解釈に学んだ」(33)テキストの読解法や、稲葉氏が「面白かった」としている小説的側面、そしてお二人の評価が分かれる背景について関心を持ったのである。

そもそも、『哲学ノート』はお気に入りの一冊で、その「ポストテクストロジー的解読」と言われると、買って読むしかないわけで…。ちなみに、『レーニンへ帰れ』の推薦文で、ジジェクは『哲学ノート』について次のように語っている。

レーニンの『哲学ノート』は、振幅と後退で満ちている継続的な政治・理論闘争の記録として、あるいは正確な社会的、政治的状況…への一連の介入の記録として読まれるべきである。

社会運動に携わっていて、哲学や思想に関心を持っている人にもオススメの一冊かな。