yamachanのメモ

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丸山眞男「民主主義政治と制度」を読む

民主主義について整理するために、丸山眞男「民主主義政治と制度」(『丸山眞男集別集第一巻』所収)を読んだ。

第一巻 1933―1949 (丸山眞男集 別集)
 

私は、民主主義(デモクラシー)は「制度を求める運動の中にある」と考えるよりも、「制度」や「手続き」的側面で考えているので、本論考のタイトルに関心をもった。(デモクラシー理解をめぐる考え方の違いについては、杉田敦『デモクラシーの論じ方』が参考になる。)

本論考の興味深い点は、機械文明・技術文明の高度化により、治者と被治者の距離が接近しており、大衆が直接に政治的圧力を政府に加えることが可能となったことを指摘していることである。近年、「政治の遠さ」「政治との距離感」が問題視されていたけど、丸山の論考は「本当にそうなのか?」と呼びかけているように思える。そして、ここで思い出したのが、柄谷行人「内面への道と外界への道」の中の言葉である。

危機はわれわれが「現実」に背を向けてしまっていることではない。危機はむしろ、われわれが過剰なほど「現実」に接触していながら、その底で致命的なまでに「非現実感」に蝕まれていることだ。(柄谷行人『畏怖する人間』329)

この柄谷の言葉を借りれば、民主主義の危機は、我々が過剰なほど「政治」に接触していながら「非政治感」に蝕まれていることではないのか、と。ならば、丸山が指摘しているように、民主主義の危機を乗り越えるためには、「日常生活を通じて不断に政治的関心を喚起すること」(『丸山眞男集別集第一巻』317)が大事で、それを可能とするために「秩序と規律とを与える」(同316)=「制度化する」ことこそが重要になるであろう。

もちろん、民主主義には次のような側面はある。

僕はむしろ、デモクラシーを発見の過程と見ているわけだ。さまざまな意見がぶつかり合う中で、新しいものが生まれる過程、それがデモクラシーだ。(杉田敦『デモクラシーの論じ方』31) 

しかし、丸山も指摘しているように、この側面においても「一層高度の政治的訓練が必要」であり、「さもなければ大衆の直接民主政的傾向はたんなる群衆(モッブ)の騒乱にすぎなくなる」(『丸山眞男集別集第一巻』317)。

以上のように私は考えているが、近年のデモ・社会運動についても勉強し、民主主義についての理解を深めていきたい。