yamachanのメモ

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湯浅誠「社会運動の立ち位置」を読む

久しぶりに、湯浅誠「社会運動の立ち位置-議会制民主主義の危機において」(『世界2012.3月号』所収』を読んだ。本論文は、社会運動論としてだけではなく、「政治」そのものを考える上でも非常に重要。今回再読して注目したのが「固定化」「瞬間」という概念である。湯浅氏は次のように語っている。

政治的領域の特徴は決定にあり、調整過程の終結にある。「こっち側」(社会的領域)と「あっち側」(政治的領域)を貫く政治的・社会的力関係総体の終りのない調整過程のある時点で、その力関係を切り取り、固定化するのが政治的決定である。もちろん、決定された瞬間から、その決定を政治的・社会的力関係総体の一要素に織り込んで調整過程は連綿と続いていくので、決定は常に暫時的なものでしかありえない。(44) 

 

 政策や制度は、重層的に変化する力関係をある瞬間で切り取り、暫時的であれ固定化するものだから、内容と同等あるいはそれ以上にタイミングが重視される。政治家や官僚の力量は、ある政治的・社会的力関係を長期的または瞬発的に自ら形成しつつ、同時に外的にも活用(便乗)しながら、優勢と劣勢が目まぐるしく入れ替わる複雑な調整過程の中で、テコ入れする課題が比較的優位に立った瞬間に切り取って固定化する、その「瞬間芸」の技量によってはかられる。(47)

 このような「固定化」や「瞬間」を忌避する姿勢が、民主主義の危機の要因の一つではないか。そして、政治における「固定化」を忌避する姿勢は、次のような形で自らが固定化していることを忘却させる。

「政権に期待し、接近したのが間違いだったのであり、社会的な働きかけを強めるべき」という意見、社会運動は原点回帰すべきといった主張をよく耳にする。社会運動にとって社会的な働きかけが重要なのは言うまでもないが、問題はこのような主張がしばしば「こっち側」と「あっち側」という、繰り返し述べてきた役割区分の固定化への回帰を志向している点だ。(49) 

 このような状況において、我々はどうするべきか。ここでも湯浅誠氏の次の言葉がヒントとなる。

社会運動が採るべき方向性は、バッシング競争で負けないためにより気の利いたワンフレーズを探すことではなく、許容量を広く取って理解と共感を広げていくために、相手に反応して自分を変化させ続けていくこと、政治的・社会的な調整と交渉に主体的にコミットすること、そして自分という存在の社会性より磨きをかけていくことではないかと思います。(湯浅誠『ヒーローを待っていても世界は変わらない』187) 

社会運動に携わる人間に限らず、先述した「固定化」や「瞬間」、そしてこの「変化」に対する理解を深めていくことが重要である。

そして、理解を深めるためにこそ、ヘーゲルを引き続き読んでいきたいとなんとなく思った。そのためにも、日々の仕事をがんばろ。