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重田園江『フーコーの風向き-近代国家の系譜学』

 「新型コロナウイルスの流行は、フーコーの思想が持つ力を再度示したと言えるだろう」(16)と多くの人が思っているところに、重要なフーコーの研究書が出版された。著者は「時代の趨勢から微妙な距離を取ることで、フーコーの思想は結果的に、その後明らかになる新しい状況に対して高い説明能力を有することになった」(13)と指摘しているが、その言葉は著者自身にもあてはまるであろう。本書に収録された論考は、1990年代に執筆されたものが中心であるが、これらの論考はコロナ禍という新しい状況に対して高い説明能力を有するものとなっている。なお、既出の論考に対しては、章ごとに書き下ろしのコラムがあり、現在の視点から読む上でも参考になる。
 本書のテーマは、副題で示されているように「近代国家の系譜学」であるが、フーコーの入門書としても優れている。それは読みやすいという意味での入門書ではなく、フーコーの思想の主要テーマである「知」と「権力」について第1章で詳しく解説し、第2章以降がその実践となっているからだ。
 新型コロナウイルスとの関連では、「国家理性」や「生権力」、「人口」といった概念を整理している第2章が特に参考になる。また、菅政権が唱える「自助・共助・公助」について、「自己への配慮」という晩年のフーコーのテーマを糸口にして、「自己決定の権利と他者への配慮とを対立させ、どちらかを選択するのとは異なったしかたで、自己について、配慮することについて、また共同体の規範と個人の生き方との関係について考え」(69)ていくことが、その問題を解明するためのヒントになるだろう。
 本書で最も興味深かったのは第Ⅲ部の「新自由主義の統治性」である。第9章はフーコーのオルド自由主義論で1996年に執筆されたもの、第10章は書下ろしであり、「新自由主義とは何だったのかを、九〇年代から三〇年間の知的文脈の中に置いて考えてみた」(356)ものだ。フーコー新自由主義理解だけではなく、フーコー以降の新自由主義論や、新自由主義と官僚制の問題についても言及されている。また、「フーコー福祉国家型の統治に対して新自由主義型の統治を評価し、そのパフォーマンスを称賛していた」という見方に対して、「たしかにフーコー自由主義の統治が有する包括性と新しさに感嘆している」が、「そのことと、新自由主義を「価値」として奉じたかどうかはまた別の話である」(346)として、次のように指摘している点も重要だ。

これについて判断したいと思う読者には、フーコーの講義集成に収録されたインタヴューや座談会での発言、またエリボン『ミシェル・フーコー伝』などの伝記的著作、そして一九八〇年代にフーコーが追い求めた「自己のテクノロジー」のテーマ系の作品を読むことを勧める。それらを読み、フーコーという人物、そしてその思考の好みと論じ方のくせなどに触れれば、彼が新自由主義を称賛していたとはとても思えなくなってくるはずだ。(347)

 その他、ヒュームの議論との対比(第5章)、アーレントやシュミットとの対比(第9章)なども刺激的で面白く、フーコーの思想に対する理解を深めてくれる。フーコーを読み解く上で、また現代社会について考察する上で必読の一冊である。

フーコーの風向き: 近代国家の系譜学

フーコーの風向き: 近代国家の系譜学