yamachanのメモ

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山本圭『現代民主主義-指導者論から熟議、ポピュリズムまで』

 山本圭『現代民主主義-指導者論から熟議、ポピュリズムまで』は、多様な観点から「政治」、そして「民主主義」を問うてきた著者が、「民主主義はどのように語られ、理論化されてきた」(ⅳ)のかを論じた、コンパクトにして濃厚な内容になっている。まずは序章を読むことで唸ってしまう。「現代」民主主義を理解するためには、その前提となる過去=歴史を知る必要があるのだが、古代ギリシャからの民主主義の変遷について、「代表性」「自由民主主義」「大衆」「ポピュリズム」といったキーワードを中心にして鮮やかに描いている。読者はこの序章を読むことで、本書の議論の背景と民主主義の歴史の概要を知ることができる。
 そして、本書の興味深いところは、一見は民主主義と折り合いが良くないような「指導者」の問題や、法学者ケルゼン・経済学者シュンペーターといった、一見は政治思想とは関係が無いような人物が取り上げられている点である。さらに、第5章ではデリダランシエール、著者が専門とするラクラウにまで議論が及んでおり、射程の広さがうかがえる。
 また、扱う領域が広いからといって一つ一つの議論が薄くなっているのではなく、それぞれの思想家が生きた時代の背景や、思想・理論の注目すべき点が端的かつ的確に描かれている。さらに、それぞれの思想・理論が切り離されているのではなく、それらの結節点がわかりやすく論じられており、民主主義の歴史的変遷の理解を促す内容になっている。「多彩な反射のプリズムのなかで民主主義を捉えなおし、二一世紀の民主主義を描き出す」(ⅶ)という著者の試みは成功していると言えるだろう。
 思想や理論に焦点を当てているものでありながらも、「#Me Too」や著者が参加したワークショップ、近年のデモのような実践面に言及していることも本書の特色のひとつである。これらの記述からは、「日々の暮らしの不満にこそ、民主主義を再発見する手がかりがある」(232)と語る、「ポケットに民主主義を」(234)という著者の思いが浮かび上がる。
 本書を通じて、民主主義の「目の眩むような多様性」(227)に読者は直面するであろう。そして、その多様性ゆえに「民主主義は面倒」(228)なものでもあることを実感するかもしれない。しかし、面倒だからといって目を背けていると、私たちはいつか足をすくわれる。だから、目を背けるのではなく、過去=歴史を知ることで、民主主義という面倒なものを今までとは別の仕方で見ることが大切なのだ。そうすることで「新しい民主主義の発想が生まれる」(233)。本書はこのような構想のもとに描かれた、民主主義の過去と未来をつなぐ現代の「バトン」となる一冊である。