yamachanのメモ

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宮本太郎『貧困・介護・育児の政治-ベーシックアセットの福祉国家へ』

 民主党政権の「有識者検討会」座長をつとめたり、「生活困窮者の生活支援の在り方に関する特別部会」部会長をつとめる等、政治過程・政策形成の現場でも活動されてきた宮本太郎氏が、この約30年の福祉政治を分析し、新たなる構想を描いた良書。
 タイトルにもあるように、貧困、介護、育児の政治に対して、社会民主主義、経済的自由主義新自由主義)、保守主義という3つの潮流を軸に考察していく。そこで著者が見出したのは、それら3つのいずれかの主張が前面に出てくる「パターン」であり、それらが「例外状況の社会民主主義」「磁力としての新自由主義」「日常的現実としての保守主義」である。
 「例外状況の社会民主主義」とは、90年代の非自民連立政権成立から自社さ連立政権への移行や、2000年代から2010年代にかけての政権交代という政治的な例外状況においてのみ、福祉の機能強化となる社会民主主義的施策が前面に出てくることである。さらに、社会民主主義的施策が進められたこの二つの時期には、財務省(大蔵省)が社会保障の機能強化と増税を結びつけようとしたという共通点もある。
 ところが、社会民主主義的な制度が導入されて政策を実施していくと、財政的制約から新自由主義的な方向を辿ってしまうことになる。これが「磁力としての新自由主義」であり、その源泉は「①国と地方の長期債務(および負担を回避するグローバルな資本)、②有権者、納税者の社会保障制度と税制への不信、③自治体の制度構造」(12)である。
 この「磁力としての新自由主義」が出てくることにより、貧困・介護・育児に対して自助と家族で対応するしかなくなる。このように、「家族負担を軽減するに十分な公的給付を得ることができず、最後は家族に頼るか自助しかないという現実が広がってしまっている」(15)状況が「日常的現実としての保守主義」である。
 以上のことが、各章では具体的な制度変容を踏まえて論じられている。そして、各領域における政治展開の分析を通じて著者は次のように指摘する。

政治と行政の流れみると、「例外状況の社会民主主義」の脆弱さから、「磁力としての新自由主義」がこれを侵食している。そして地域社会の実体としては、「日常的現実としての保守主義」が広がっている。ところが、私たち自身が依拠する価値原理については、むしろ私たちは生活保障を支える原理について、何かの価値を積極的に選び取る機会を奪われてきたのではないか。(16)

今日の日本では、多くの人々はこうした社会的価値選択の機会を奪われ、ぽっかり空いた空虚さを、相手への直感的な違和感や反感・憎悪で埋めている。その結果としてのぶつかり合いは、いわばそれ自体が目的であり、充足感の源なのであるから、妥協や合意形成などありえない。(17)

 そして、日本の生活保障を振り返ることで、「この国の福祉政治が手放してきてしまったものを確認したい、というきわめてリアルな関心から」(308)、「ベーシックアセット」という構想・理念を掲げる。著者自身も「具体的な政策として定式化していくことは簡単ではない」(32)「排除や孤立が進行する現状からかけ離れた、遠大な構想のように響くかもしれない」(308)と指摘しているように、ベーシックアセットのビジョンを共有し、具体化していくことは困難で、賛否もあるだろう。しかし、私たちが「社会的価値を選び直す」一つの機会として、まずは著者の提言に耳を傾けるべきである。日本がどのような道を歩んできたのかを学び、どのような社会を構想すべきかを考えるための最適の一冊と言えよう。