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ジョルジョ・アガンベン『私たちはどこにいるのか?-政治としてのエピデミック』

 ジョルジョ・アガンベン『私たちはどこにいるのか』は、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて書かれた論考が収録されている。アガンベンが前書きでも触れているように、本書の要点は「パンデミックと言われているものの倫理的・政治的帰結について省察しようとするものであり」、「例外化措置によって描き出されていた政治的パラダイムの変容を定義づけようとするものである」(9-10)。
 例外状態とは「憲法上の保証の数々を単純に宙吊りするということ」(11)であり、かつてナチ・ドイツは全体主義的なイデオロギー装置によって例外状態を使用した。一方、現在は「純然たる保健衛生上の恐怖を創設することによって、また一種の健康教を創設することによって」(12)例外状態を使用している。そして、アガンベンは「新宗教である健康教と、例外状態を用いる国家権力との接合から帰結する統治装置を」「バイオセキュリティ」と呼び、「西洋史上、最も効果的な装置である」と語る(12)。また、これらの変容の実効性はデジタル・テクノロジーに委ねられており、このテクノロジーは「社会的距離確保」(14)と一体のものである。
 その結果として、人びとは自由の制限-特に移動の自由の制限-を受け容れ、死者に対する敬意も無くなり、公共空間が廃止されるという事態になっていると、アガンベンは警鐘を鳴らす。さらに、「「社会的距離確保」に基礎づけられる共同体は人間的・政治的に言って生存可能なものではない」(73)のであり、人間は「政治的な次元のみならず、端的に人間的な次元のすべてを失った」(64)のである。また、健康が特にそうであるが、かつて権利であったもの、つまり「個人の自由な決定に関わるような何か」(186)であったものが、今や「いかなる対価を払っても果たすべき法的義務」(65)になったとも指摘している。
 新型コロナ感染症を巡る諸状況に対するアガンベンの極端とも言えるような批判の意味を理解するためには、彼の「非の潜勢力」の哲学へ目を向ける必要がある。アガンベンは、「人間とはすぐれて潜勢力の次元、なすこともなさないこともできるという時限に存在している生きものである」*1として、次のように述べる。

人間的潜勢力はすべて、同時にはじめから非の潜勢力である。人間にとって、存在することができる、なすことができるということは全て構成的に、自体的欠如と関係をもっている。これこそが、他の生きものの潜勢力と比べてはるかに暴力的、はるかに効果的な人間的潜勢力の計り知れなさの起源である。他の生きものに可能なのは個々の潜勢力だけである。つまり、個々の生きものの生物学的使命に書きこまれたこれこれの振る舞いだけである。人間は、自体的な非の潜勢力が可能な動物である。人間の潜勢力の偉大さは、その非の潜勢力の深淵によって計り知られる。*2

そして、「問題としての自由は、これこれをできるということは即、それをしないことができるということでもあり、潜勢力はすべて非の潜勢力でもあるというところから生まれている」*3のである。
 つまり、新型コロナウイルス感染症対策の統治パラダイムは、「しないことができる」という自由を剥奪しているのである。國分功一郎氏の言葉を借りれば、「アガンベンの基本的な発想は抵抗」*4であり、「現在の経済体制はそれを許さず、発揮されていない可能性をぐんぐんと汲み尽くそうとしてくる」*5のである。そのため、「「やればできるけど、やらない」という潜勢力の非実現がその力に抗うという意味を持つこと」になり、「アガンベンにとって自由とはこのようなもの」なのだ*6
 このようなアガンベンの批判は、実際に自由が制限されている現在の状況において重要である。しかし、國分氏が「何か展望を提示するという方向には向かない」*7と指摘し、岡田温司氏も「それでどうすればいいんだ」*8と呟いているように、具体的な実践面において私たちは立ち止まることになる。そして、この「立ち止まること」について、岡田氏の発言に耳を傾けるべきであろう。

彼があえて忌避するのは、わたしたちがすぐに納得できたり実践で期待するような即答を与えることである。それでは思考の可能性を奪ってしまうことになるからである。死王の潜勢力とは、あるいは潜勢力の観想とは、<生の形式>に与えられた別の名でもある。そもそも、西洋の政治や経済を導いてきた、実効性や有効性や生産性という至上命令を乗り越える思考が、「ホモ・サケル」計画の全体を導いてきたのだ。*9

 本書を「嘲笑と黙殺の対象」(222)としてはいけない。本書においてこそ、アガンベンの哲学が試されているのだ。生政治によって自由の制限が増していく現代において、まずはアガンベンの議論を引き受けた上で、社会構想・対策を考えていくべきであろう。

 

 

*1:ジョルジョ・アガンベン『思考の潜勢力』344

*2:ジョルジョ・アガンベン『思考の潜勢力』344

*3:ジョルジョ・アガンベン『思考の潜勢力』344

*4:大澤真幸國分功一郎『コロナ時代の哲学』101

*5:大澤真幸國分功一郎『コロナ時代の哲学』102

*6:大澤真幸國分功一郎『コロナ時代の哲学』102

*7:大澤真幸國分功一郎『コロナ時代の哲学』102

*8:岡田温司アガンベンの身振り』42

*9:岡田温司アガンベンの身振り』42