yamachanのメモ

日々の雑感や文献のメモ等

浅羽通明「日本的「自由」の困難性について-”理論武装”のためのブックガイド国内編」(『論座2005.7』)

浅羽通明氏は、「個人の独立の伸長を何より尊重し、そのための手続き、手段として法の尊重と権力の必要を認める」(72)といったリベラルの基本を、福澤諭吉が『学問のすゝめ』において宣言していたことを指摘している。そして、福澤は経済的自立と精神的自立のために、「学問」、「実学」をすすめたのである。

しかし、日本ではこのようなリベラリズムが育たぬまま経済成長することができたため「リベラリズムは常に傍流」(73)であった。このような状況において、日本では伊藤博文のように国家権力の側にありつつ、リベラリズムの原理に立つエリートが育っていったとして、浅羽氏は次のように語る。

福澤諭吉が期待した経済的自立者も、欧米におけるキリスト教を背景とする精神的自立者も育ちにくかった日本。そんな中で、法律家、帝大エリート、外交エリートは、職業倫理として、法的ルール尊重や論理的思考、合理性といったものを血肉化する機会を得た例外的立場にあった。(74)

戦後においては、「私生活リベラル」が台頭したが、私生活を擁護するという姿勢が「欲望追及の自由」(76)を増長させ、現代に至っていると浅羽氏は指摘する。そして、冷戦終結後、リベラリズムを論じる学者に対して、「彼らのリベラリズムを受容する土壌が現在この国のどこに認められるのか」、「彼らがリベラリズムを標榜すせざるをえない必然はどこから来るのか」と疑問を呈し、このように指摘する。

経済的自立勢力もなく精神的自立の倫理も浸透しなかった日本で、リベラリズムとは、「西洋ルーツの学問」を職業上、もしくは教養上、真摯に学び、ゆえに「世間」共同体とのズレを生きねばならなくなった人々の思想だった。(77-8)

リベラリズムを「ズレを生きねばならなくなった人々の思想」と解する浅羽氏の視点は、現代においてリベラリズムを唱える上でも踏まえておいた方がよいだろう。