yamachanのメモ

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井上達夫『生ける世界の法と哲学』

井上達夫氏は、リベラリズムの歴史的源泉は「人間が理性によって因習や偏見から自己を解放する」啓蒙と、「宗教観や価値観が違っても共存の可能性を探る」寛容であると指摘している(74)。そして、「その哲学的基礎は単なる自由でなく、「他者に対する公正さ」という意味での正義の理念」(79)とのことである。

井上氏がリベラリズムにおいて重要視することは「普遍主義」である。それゆえ、ロールズの「政治的リベラリズム」のような「脱哲学的な歴史的文脈主義の傾向」に対して、「普遍妥当性の哲学的基礎付けを放棄」(207)するものであると批判し、普遍主義的正義理念の重要性を次のよう主張する。

普遍主義的正義理念は現状(status quo)を、満ち足りた者の視点からではなく、抑圧・差別・排除された「他者」の視点から絶えず批判的に再吟味することを求める。この理念に背を向け、安定性の名において現状に休らうことを選んだロールズの政治的リベラリズムの階層国家擁護論への頽落は、異質な他者にたいする開放性・寛容・尊重を培うconvivialな共生の実現にとって普遍主義的正義理念が基底的意義をもつことを逆に証明している。(304)

また、井上氏が唱えるリベラリズムにとって「責任」も重要な位置を占める。「異質で多様な自律的人格の共生を理念とするリベラリズムは、共生の確保という観点から、むしろ公共的責任負担の公平な分配を重視」し、「責任民主主義の問題意識にまで成熟させる」(88)として、次のように指摘している。

単に自由の保持増進か、福祉の保持増進かという二項対立的発想を超えて、自己の自由行使が他者の福祉のみならず自由を阻害し、自己の福祉享受が他者の自由のみならず福祉も阻害する効果をもちうるという現実を直視して、自己の自由行使と福祉享受が、自己の視点のみならず、かかる阻害効果に対して異議申立てをする他者の視点からも受容しうべき理由によって正当化可能か否かを反省的に吟味する必要がある。かかる批判的自己吟味の責任を人々が引き受けたとき、自由と福祉の葛藤問題をめぐる対立を解消しえないまでも、誠実に調停する道がはじめて開かれる。正義理念を基底にしたリベラリズムは、かかる責任を万人を課すことにより、多様な対立競合する価値と利益を追求する人々の公正な共生枠組みを確立する企てである。(402)

このようなリベラリズムは制度構想において重要なものであり、政治的な側面からは、この思想を引き受けることができる政党が生まれることを期待したい。