「本書では、戦後サブカルチャーの意味論的な画期をおよそ、1955年、64年、73年、77年、83年、88年、92年に設定する」(宮台真司『増補 サブカルチャー神話解体』10)とあり、第2回『社会意識と社会構造』の中では主に「1973年」の画期(エポック)についてのお話があったのでメモ。
〇講義メモ
・73年が、その後の最も大きなエポック(画期・分割線)
・73年以前は「若者」という概念があった。73年以降は「若者」という概念は完全に消えた=「若者」という言葉で誰もが想起する「何か『大人』と違うものがあるよね」という発想が失われた=「<個人化>の時代」(=「我々」意識がない)
・73年以降、連帯ができない。「若者」(=「大人だけど大人じゃないよ」という連帯の符号)が消滅すると、「若者」と対立する「大人」も消滅。
・「若者」も「大人」もいなくなってただバラバラの「個人」がいるだけになるとポジションの計測・位置づけができなくなる=アノミー(前提喪失状態)
・少女マンガの変化が73年において非常に重要。73年以前、一条ゆかり『ふたりだけの星』=「代理体験もの・波乱万丈もの」。73年以降、陸奥A子『たそがれ時に見つけたの』=「これってあたし!」(=「関係性モデル」)→享受形式が全く変わった
・「若者」の時代が終わり、分断され孤立=アノミー(=モデルがない)に。そのような状態だから、マンガ表現の中に「これってあたし!」という風に自分と同じ存在を見つけて、それと自分を同一視してて癒されたり安心したりするという享受形態が生まれた
・73~76年「変異の時代」、70年代の末期「選択の時代」(490)
・[「<大人>/<若者>]という相補的な共通コードが崩壊し、「連帯する内部」が消滅。「シラケの時代」の到来。<我々>としての自己ではなく、唯一性としての<私>が浮上(31)
・恐怖コミックにおける変化。「共同体の記憶」から「失われた個人の記憶」へ(31)
・「大人のみならず同世代からも疎外された私」の主題化(大島弓子『ミモザ館でつかまえて』)(32)
・周囲の大人のみならず同世代にも馴染めない「私にしか分からない<私>」を作品群が、周囲からの疎外感に悩む一部の女の子たちに「これってあたし!」と熱狂的に受け入れられた(113)
・大衆的かつ肯定的な形で「私らしい私」を取り扱う『りぼん』に集まった「乙女ちっく」の作家。「周囲を否定する」カウンターカルチャーから自己充足的なものへ=周囲から取り残された劣等で不安な「ダメな私」が、周囲を否定することなくそのまま肯定された(32)
・「これってあたし!」そのものであるダメな主人公がそのまま肯定される。→<関係性モデル>が規範的なものかから認知的なものへ。<関係性モデル>の主語も<我々>から<私>へと変化(32)
・73年に登場する「乙女ちっく」は、<私>を読むための<関係性>モデルとしての少女マンガの始まりである点で少女マンガ史上において画期的。「いまのままの<私>でいいのだ」「<私>のままでいつか誰かに愛される」という「陥没した眼差し」に対して発せられた自己肯定のメッセージ(40,79)
・「乙女ちっく」以降、少女マンガの主流は、<代理体験>ものから<現実解釈>ものへ移転(40-1,79)
・「乙女ちっく」は、「性的コミュニケーションが自由であることによるアノミー」を伝統的な予定調和の手法により癒す。「性的な身体であろうとする不安」(≠「性的な身体であらざるをえながゆえの不安」)→77年以降の「乙女ちっくの進化」を可能とする(32-3)
・70年代前半の「乙女ちっく」における「私だけが分かる<私>」が画期的だったのは、前代の「<我々>すべてが目指すべき自己」と決定的に異なって、<我々>としての共通性(=<若者>としての共通コード)が当てにされていなかったこと。むしろ、共通コードから疎外されている可能性こそが照準されていたといえる(125)
・女の子たちは、「60年代的サブカルチャー」の時代のような<我々>としての内容的な共通性の代わりに、コミュニケーションの形式的な同一性を当てにできるようになった。各人によっていかようにも異なりうる「本当の<私>」を詮索するのをやめ、「みんな同じ」であることを巧妙に先取りしてしまうコミュニケーション。それこそが、キュートな「かわいさ」の、対人関係ツールとしての本質的な機能(126)
・少年マンガでは、「反<世間>的な文脈の脱落に伴うドラマツルギーへの純化」と「<課題達成>における自己確認というサブカルチャー的構成そのものをパロディー化する『がきデカ』(1974)的方向」という別の形をとる。少年マンガに「これってあたし!」的な<関係性モデル>が導入されるのは77年を過ぎてのこと(33)
・60年代の「小さな個人」という意識が痛切な<疎外>感や<解放>への希求に彩られたものに対して、とりわけ73年以降のそれが基本的に現状肯定的な色合いにかわった(276)
・72年の連合赤軍事件は「60年代的サブカルチャー」の挫折が明確に意識される一つの重要なエポック。これ以降「60年代的サブカルチャー」は伝承戦を見失い、無害化された「団塊世代的サブカルチャー」として若者文化の前面から退いていく→「唯一性としての<私>」「私だけが分かる<私>」が問題化し始める(少女マンガの「乙女ちっく」に代表される<関係性モデル>の出現)(286)
〇宮台真司『制服少女たちの選択ー完全版 After30Years』
七〇年代に入ると…ティーンたちの共通コードは崩壊し、同時に共通の外部地平も消えた。そうしたなかで、社交技術の不在を埋めあわせ、探りを入れるプロセスを免除するような「負担免除」の機能をはたすコミュニケーション・ツールが、まさに要求されていたが、ちょうどそこに、新人類的なものが-記号的消費と対人関係との結合が-登場した。(251)
七〇年代に入って、世代間対立を支えていた共通の「外部地平」が消失すると、親や世間といった「敵」を前にして自分たちの共同性(無限定的な同一性!)を確認しみずからを鼓舞するいままでの作法は通用しなくなって、<若者>というシンボルは、またたくまに放棄されてしまう。かわりに、縦割りの小さなコミュニケーション集団の内部だけで通用する共通のシンボルが選択されるようになった。結論からいえば、こうして登場したのが、新人類やオタクの「共振的(シンクロナル)コミュニケーション」だった。
意外なことだが、この「共振的コミュニケーション」のはじまりは、まる文字で書かれた交換日記や「乙女ちっく」と呼ばれる少女マンガと結びつくかたちで七三年に立ちあがった、女子たちの「かわいいコミュニケーション」だった。これは、六〇年代的な<若者>という共同性が失われたことによるコミュニケーションの手がかりの喪失を、かわいいモノのやり取りによって演出される幻想的な「かわいい共同性」によって埋めあわせるものだった。しかし重要なことだが、この「かわいい共同性」には内実というものがない。(258-60)