将基面貴巳「発題Ⅰ 政治思想史から見たリーダーシップと公共性」(『公共哲学14 リーダーシップから考える公共性』)
中世ヨーロッパ政治思想の観点から、リーダーシップと公共性について検討した論考。著者によれば、リーダーシップを論じる上では、「指導力獲得の様態」と「指導力行使の様態」という二つの視点が基本的な枠組みとなる(2)。
まず、権力「獲得」の態様について、政治指導者は相続と選挙という正当な手続きを経なければならない。それぞれ、以下のような好ましさがある(3)。
・相続:人民には「国王」の息子には喜んで服従する傾向が見られる。
・選挙:選挙によって選ばれた指導者への服従の方が自発的である。
次に、権力「行使」の態様について、政治指導者は共通善を実現しなければならない。逆に言えば、共通善に反して指導者個人の利益を目指す政治は「暴政」となる。
これらのことを踏まえて、リーダーシップと公共性について、①共通善の理念と②政治的コミュニケーションという観点から分析している。
①共通善の理念について、著者はアリストテレスとアウグスティヌスの思想を原型として次のように説明している(5-6)。
・アリストテレス:ポリスという政治共同体において実現される有徳な生活。
→倫理・道徳志向
・アウグスティヌス:政治権力は「必要悪」にすぎず、政治参加は人間を何ら有徳にしない。
→現世的で功利的
このような共通善を見定めるのは、まずは「被治者が自分自身で特性を獲得するための道具を与えること」(7)を役割とする政治指導者である。一方、被治者にも「為政者が見出した共通善の妥当性を判断する能力が認められている」(7)。
また、「中世の共通善思想には抵抗義務と相互扶助の理念が内蔵されていた」(9)として、次のように述べる。
共通善思想に基づく抵抗義務の理念は、政治的リーダーに対して、一面のにおいては、リーダーシップの行使における逸脱と恣意性を排除するために異議申し立ての機会を保証することを強く要求するものである。また、他面においては、共通善の実現という結果責任をリーダーに対して追求する論理であり、また、保持する官職や地位が高ければ高いほど、それに伴う責任も大きいというノブレス・オブリージュの理念をも内包している。(10)
②政治的コミュニケーションについては、「コトバ」の果たす役割が検討され、ここでも指導者と被治者それぞれに以下のようなことが求められる。
リーダーには共通善を実現するための方策を雄弁に物語り、被治者を効果的に説得する技術がなければならない。このことを被治者の側から見れば、リーダーの駆使する弁論術は、被治者の間に共通善への関心と情熱を呼び覚まし、共通善への奉仕を、被治者一人ひとりが己の課題として自覚し、自ら取り組むように仕向けるものである、といえる。(13)
このように、「リーダーシップとの関連において捉えられた「公共性」とは、共通善実現のために弁論術を駆使して説得に努め、被治者がこれに理性的に耳を傾けるところに成立する、共通善をめぐる言語コミュニケーション空間のことである」(13)。
後藤玲子「思想をリズムの車に乗せて」『思想2019.4 公共Ⅱ』
〇書式の正統性(3)
・書式の正統性を支えるものは、「真」ではなく、「公」。出来事は書式に載らない限り無いものとされ、書式の載った途端に済んだものとして片付けられてしまう。
・「公」による忘却は、当事者たちの存在と認識と価値を根底から揺るがねしかねない。
→当事者が沈黙することで、出来事それ自体の反倫理性=ある出来事を「悪」として断定する価値判断それ自体が揺らぎかねない。「公」を通して「真」が封印されかねない。
〇公共的判断と社会科学の役割(6)
・客観性とは、「思考の公共的枠組み」に他ならない(ジョン・ロールズ)。個人は、私的利益を追求し、さまざまな社会的関係を結ぶと同時に、公共的判断を形成できる。
→個人の公共的判断の形成に、人文学・社会科学は寄与する。
・政策に役立つことが、学問研究の最終目標ではない。政策が役立つものとなること、少なくとも「真」を踏みにじらないものとすること、問題を見破り、未来を展望する人々の公共的判断を揺さぶるもの、それが社会科学の任である。
成田大起「現代フランクフルト学派の社会批判-ポスト・ハーバーマス時代の批判理論」『思想2019.3 公共Ⅰ』
〇ハーバーマスの批判理論
ハーバーマスの批判理論は一方で日常の生活世界のコンテクストに内在する規範に批判の準拠点を定めることができ、他方で形而上学や歴史哲学ではなく、コミュニケーションを行う前提の不可避性に関する論証を通じて規範の普遍性を掲げることができるのである。ハーバーマスの批判理論の特徴は、規範のコンテクスト内在性と普遍性を調和させた仕方で批判を捉えている点にあると言えるであろう。(186)
〇近年の批判理論研究の3つの動向(186)
1.A・ホネットとR・フォルスト:コンテクスト内在性と普遍性を同時に主張できる批判の規範的基礎を追求したハーバーマスの批判理論を対抗的に継承
2.R・イエッギとT・シュタール:「第三世代」のホネットが抱えた問題やホネットの承認論の修正を通じて、新たな批判理論を提示
3.A・アレン、R・ツェリカテスとM・ザール:従来の批判理論の方法論的立場自体に異論を唱え、「系譜学的」な批判を展開
→著者は、「豊富な分析哲学の知見に支えられつつ承認論と正当化実践の双方を取り入れるシュタールの批判理論」を「一つの有力な方向性」(191)と述べる。
〇シュタールの批判理論
シュタールにとって、承認とはある共同行為を構成する規範に基づいて評価し合う権威(=判定者としての権威)を互いに認め合うことである。(190)
シュタールの内在的批判とは、暗黙裡の規範と共同行為を「明示化」することで、明示的に受け容れられた規範との間のズレを暴露することである。彼の解答は、共同行為の参加者間における正当化実践や討議によって決定するしかないというものである。(191)
シュタールはコンテクスト内在的な批判を目指すホネットと、正当化実践の根拠づけを論じるフォルストの中間の立場を取っていると言えるであろう。(191)
梅田百合香「ホッブズ『リヴァイアサン』における「公共」」『思想2019.3 公共Ⅰ』
『リヴァイアサン」における「公共」を考えるとき、注目すべきは次の点にある。すなわち、社会契約によって諸個人は、自然状態における自己の良心、理性および判断を私的なものとして相対化し、主権者の公的良心、公的理性および公的判断に委ね、これを法として従うことを受け容れる、ということである。契約による国家の樹立により、立法行為が実現し、私は公へ、個は共へと橋渡しされる。このとき、群衆を構成するバラバラな個人は、彼らの人格を担う主権者によって統一性を与えられ、一つの国家(a Common-wealth)になる。単なる人々の集合である群衆は、主権者の一人格によって統合され一国家となり、自然状態は社会へと転換する。人民の公共性を身に負い、公的なるもの(政治的、法的、社会的世界)を維持する役割を引き受けるのは、本質的には、機構としての国家(State)ではなく、人格的存在である主権者である。この論理を支えているのが、ホッブズ独特の「人格(ペルソナ)」論である。(179)
ホッブズは、権限(Authority)の資質を人格的なものとすることにより、主権者は、人民が自分たちの平和と秩序を維持するために主権を与えた一人格として人民の代表者であり、神が被造物の秩序維持のために与えた主権を担う一人格として神の代表者である、ということを導き出そうとするのである。(181)
ホッブズは人格に三位一体論の位格を絡め、代表者理論を補強しようとした。(182)
主権を成立させるホッブズの代表理論の特徴は、代表者(すなわち主権者)の行為は、代表者自身ではなく、そのような行為を履行することについて、代表者に権限を与えた本人に帰属する、と考えるところにある。主権者と臣民の関係は、代表者と本人という関係であり、代表者の行為や判断は本人自身のものとみなされる。したがって、臣民は代表者である主権者のあらゆる行為と判断の本人であるから、臣民が主権者の命令である法に従わなかったり、主権者を廃位しようとしたりすることは、法的に違法であるばかりか、自己矛盾となる。この代表理論は実はきわめて法学的な議論であり、ホッブズは人格論に基づく代表理論から新約に基づく主権論を導き出し、この主権論から国法(Civil Law)論を導き出す。(184)
マルティン・ゼール「現出する成功-芸術美について-」『思想2019.3 公共Ⅰ』
これらの二つのモチーフ-不-可能性ならびに不自由さ-は委ねることのパトスとエートスの中で一つにされる。その中にハントケに言わせれば芸術美の本来の源泉が見出されるのだ。このことを、芸術家の作為は受動的な能動性である、とわれわれは解釈してよく、それに受容者の側で、アドルノが言ったように、「能動的な受動性」が対応している。創作する芸術家の行為と受容する観衆の行為のどちらもそれの内的な目的を、その行為を予想されなかった仕方でも予想されえない仕方でも-ただし自由に-規定させる在り方のうちに持っている。(174)
その衝動(芸術との出会いの根本衝動)とは、芸術対象の描出形式を通して自分自身の-個人的および文化的な-自己理解ならびに世界理解の慣習への拘りから解放されるということである。芸術的制作の非連続性の中のこうした連続性が見落とされてしまうならば、芸術的制作の理論はそのもっとも重要な使命を捉えそこなうことになるだろう。芸術的制作の理論の使命とは、芸術の反抗的な魅力のための感覚を生き生きと保っておき、またその感覚を強め、さらに-必要とあれば-再び呼び覚ますことにある。(176-7)

![思想 2019年 04 月号 [雑誌] 思想 2019年 04 月号 [雑誌]](https://m.media-amazon.com/images/I/41omwWOU3tL._SL500_.jpg)
![思想 2019年 03 月号 [雑誌] 思想 2019年 03 月号 [雑誌]](https://m.media-amazon.com/images/I/41hVB6Lq6SL._SL500_.jpg)