yamachanのメモ

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読書メモ:ヘーゲルとルーマンについて

ヘーゲル精神現象学』を読んでいると、なぜかルーマンのことを考えてしまう。一方で、ルーマンは「とりわけカントに興味を持っていましたが、ヘーゲルマルクスにはほとんど関心がありませんでしたね」とも語っている(『ルーマン、学問と自身を語る』141)。

ルーマン、学問と自身を語る

ルーマン、学問と自身を語る

そんななかで、大澤真幸『社会システムの生成』を読んでいると、ルーマンヘーゲルとを比較している箇所があったのでメモ。

ルーマンの理論は…ヘーゲル弁証法を裏返しているのである。ヘーゲルにおいては-少なくとも教科書的に解釈されたヘーゲルにおいては-、内的で必然的な「本質」が、つまり大文字の「理念」が、現象のうちに自分自身を外化する。現象自体は、偶有的なものである。したがって、ヘーゲル弁証法に関しては、われわれは、こう解釈しなくてはならないことになる。さまざまな偶有的な現象という仮面をかぶっているのは、必然的な理念である、と。ルーマンのシステム理論では逆である。必然性を帯びて現れていることも、実は偶有的である。必然性こそが仮面であって、その実態は偶有性の方にある。ヘーゲルルーマンの対照を次のように言ってもよいだろう。ヘーゲルにおいては、「必然性(本質)/偶有性(現象)」という対立自体を支えている様相は、必然性の方である(必然性={必然性/偶有性})。ルーマンにおいては逆に、「必然性/偶有性」という対立の地平は、偶有性である(偶有性={必然性/偶有性})。(26) 

ルーマンの理論はヘーゲル弁証法を裏返している」から、ヘーゲルを読んでいるとルーマンを思い浮かべるのかもしれない。久しぶりに、たまりにたまっているルーマンの著作も読み直そう。