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山本圭『嫉妬論-民主社会に渦巻く情念を解剖する』

 「嫉妬はいち個人の問題だけでなく、広く政治や社会全体にもかかわるものだ」(21)。この「やり過ごすことのできない嫉妬」(236)という問題を、著者は学問横断的に探求していく。
 本書を読み進めていくと、自分がいかに嫉妬に振り回されているかを実感し、「自分が嫉妬していることを自分で認める恐怖」(72)にも直面することになるだろう。しかし、嫉妬の構造や思想史に分け入った本書は、読者にさまざまな「気づき」を与えてくれる。
 まず、嫉妬の両義性に注目すべきであろう。「嫉妬は他人の失敗を待ち望むもっと醜くドロドロした、おぞましい情念」(38)と一般的に思われているが、「嫉妬の公的な使用」(101)のようなポジティブな側面にも光が当てられている。「嫉妬のような悪感情が逆説的にも共同体維持のために不可欠な役割を果たしていた」(118)という面もある。
 そして、本書の最も注目すべきポイントは、「正義や平等、さらには民主主義といった政治的な概念そのものが、嫉妬感情と深く関係している」(28)として、嫉妬と政治との関係を掘り下げているところである*1。民主主義の基本的な価値観の一つに「平等」の理念があり、この平等の要求にこそ嫉妬が潜んでいるのだ*2。さらに、民主化がもたらした平等の意識によって、人々はお互いに比較するようになり、人々の嫉妬感情が爆発的に拡がった。著者は次のように指摘する。

つまり、嫉妬は平等と差異の絶妙なバランスのうえに成立する感情なのである。そしてほかならぬ平等と差異こそ、私たちの民主主義に不可欠な構成要素であるとすれば、嫉妬が民主的な社会において不可避であると理解できる。(220)

 嫉妬を禁止することは過度な平等と画一化という息苦しいディスとピアを招く。現在注目されているコミュニズムにおいても嫉妬は消えることがないどころか、差異の縮小によって「嫉妬のディスピアを招く可能性」(197)もありうる。また、嫉妬のエネルギーを平等や正義を要求する「世直しのエネルギー」(236)とすることはできるかもしれないが、嫉妬心は都合よくコントロールできるものではなく、後に「ひどい二日酔い」(238)に苦しむかもしれない。私たちにできることは、本書でも述べられているように、嫉妬心を消し去るのではなく、抑制する仕掛けを複数用意することであろう。

 「嫉妬的人間」(220)は忌み嫌うべきものではなく、かつて著者が語った「不審者」という存在とも言えよう。「嫉妬」という見たくない感情と向き合い、その両義性を明らかにする本書は、「来たるべき公共性を開く」*3一冊である。

 

*1:これは、「<公的でないもの>の政治学」(山本圭『アンタゴニズムス-ポピュリズム<以後>の民主主義』19)のプロジェクトの一つとも言えよう

*2:また、民主主義の不確実性や不透明性が、嫉妬感情を掻き立てている(「私と彼とでは大した差はないのに、なぜか私は「たまたま」うまくいかなかった、私だけがうまくいかないという偶然は許せない!」)という面もあるだろう

*3:『アンタゴニズムス』18