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yamachanのメモ

日々の雑感や文献のメモ等

ヘーゲルの「孔」について

ヘーゲル精神現象学』で「有孔態」という概念が出てきた(平凡社ライブラリー版165)。樫山欽四郎訳では、「素材のどれにもこれにも孔があって相互に浸透しうること。『論理学』の一の一二一」(同)という訳者による補足もある。この概念は、ヘーゲル独自の概念なのか、哲学の世界では一般的な概念なのか分からなかったので研究者の方に質問したけど、(ヘーゲルを専門としていない方にとっては)あまり馴染みのない概念のようである。そこで、『ヘーゲル事典』を取り出してみると、「多孔性Porosität」という用語で以下のような説明があった。

多孔性または有孔性とは、異種のガス体どうしが混同して相互拡散しつつも化学的に結合することなく、自立的に存在するという現象を説明するために、近代原子論の提唱者、ドルトン(John Dalton 1766-1844)が提起した仮説に由来するものである。この仮説は、それぞれの物質が自立的でありながら、それ自身のうちに無数の微小で空虚な間隙、すなわち孔(穴)をもち、この孔を出入りすることによって相互に循環・滲透しあうと考えるものである。ヘーゲルは、一方ではこの仮説が我々の知覚と経験によって立証しえない悟性の作りものであると考える。しかし、他方ではこの仮説が、ひとつの物質が同一の孔を通じて他の物質に滲透しながら同時に他の物質によって滲透されるという矛盾をはらんだ「純粋な多孔性」〔『精神現象学』3.110〕もしくは「絶対的多孔性」〔『大論理学』6.142〕として示されるがゆえに、多くの自立的物質を外面的に結合している物が自己を解消して現象に至らざるをえないという移行の必然性を実質的に実現するものとみなしている。(321) 

というわけで、いわゆる『大論理学』、『論理の学Ⅱ 本質論』(作品社)を取り出してみる。

この物の発生と消滅は…外面的結合の外面的な解体であるか、結合されたりされなかったりすることに無関心なものの結合である。諸々の素材はこの物から休むことなく出たり入ったりする循環を行っている。この物自身は固有の質量や形を持たない絶対的な多孔性である。(132)

すべての物質は多孔質であり、各々の物質の間隙には他のすべての物質がある。各々の物質が他の物質とともに各々の物質のこれらの孔の中にあるのと同様にである。従って、それらは互いに貫きあう多くのものであり、貫くものが他のものによって同じく貫かれ、よって各々がそれ自身貫かれていることを再び貫くということになっている。(135)

精神現象学』に出てきた「孔」という概念や、『ヘーゲル事典』及び『論理の学』の記述を読んで思い浮かべたのが、ドゥルーズである。いや、正確に言えば、千葉雅也氏を通じて知ったドゥルーズである。千葉雅也氏は『動きすぎてはいけない』の第6章で『意味の論理学』を取り上げており、「多孔性」という概念に注目している(269~)。『意味の論理学』では、上巻の159頁以降に「穴」の記述がある。また、たまたま手元に『フロイト著作集6』があったので、110頁以降を読んでみると、にきびや靴下の「穴」が出てくる。

ヘーゲルドゥルーズ、千葉雅也氏やフロイトの「孔」「多孔性」の記述を読む限りにおいて、これらの用語は哲学・思想上において重要な概念なのかなぁ、と。その意味を考えるため、彼等の著作をしっかりと読み直そう。