yamachanのメモ

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『ジャック・デリダ講義録 ハイデガー 存在の問いと歴史』24ページ2段落から28ページ2段落目まで

ヘーゲルにとって歴史と哲学の終わりは、それ以降は歴史の運動が止められ、停止させられてしまうような事実的な限界を意味していないことは自明です。そうではなく、歴史性の地平と無限の開けが、ついにそのものとして現れた、あるいはついにそのものとして思考されたのです。(25)

世界はあらたな時代のはじまりをむかえています。世界精神はいまやすべての異質な対象をうまく処理し、最終的にみずからを絶対精神としてとらえ、対象としてあらわれるものをみずから産出し、それを自分の支配下におさめて安定を得るのに成功したように見える。有限な自己意識とその外にあるかに見える絶対的な自己意識とのたたかいは終了した。有限な自己意識はもはや有限ではなくなり、そのことによって、他方、絶対的な自己意識が、これまで手にしていなかった現実性を獲得します。(ヘーゲル哲学史講義Ⅳ』486)

ヘーゲルが<哲学史の終焉>を、そのあとにはもはや哲学が存在しないかのように、また精神的諸形態の系列がこの終焉をもって断たれてしまうかのように理解したと、ヘーゲルのせいにして想定するのはばかげたことであろう。(イェシュケ『ヘーゲルハンドブック』615)

 

ヘーゲルハイデガーの差異について。

哲学史に対するヘーゲルの関係と哲学史に対するハイデガーの関係とのあいだの近さにもかかわらず、ひとつの決定的な際が残ります。…
存在論の歴史の<解体>は、ヘーゲルの意味においても論駁ではありません。
というのも、まず以下の理由からです。ヘーゲルの論駁の哲学とはすなわち、一般に言説的で論理的な操作として理解される論駁…を存在論的に拡張したものです。この拡張は、論理学および<理念>ないし<概念>の哲学によって指揮されたものであり、ハイデガー自身はその哲学のなかに存在論の歴史の一契機、その最後の契機、その開花と「とりまとめ」の契機を見て取るのですが、このような契機はしかし、存在を存在者のもとに隠蔽することになおもとどまっているのです。(27)

アリストテレス以来、「第一哲学」の名を得てきたのが「存在論」であることは、周知のとおりである。ヘーゲルにおいては、彼の『大論理学』が、それに当たる。…
他方のハイデガーにおいても、出発点は「有〔存在〕への問い」である。…ヘーゲルハイデガーの哲学的思索の出発点は、共に存在論の事柄としての「有〔存在〕」だった。
ただし、このことによって両者の出発点が「同一」だと見ることはできない。一方は、そこから形而上学の体系的企投が始まるところであり、他方は、この形而上学において「忘却」されていたもの(有、存在)を初めて問いに仕立てる思索の、始まりである。(大橋良介ヘーゲル」『続・ハイデガー読本』105)

 

引用されている『存在と時間』序論の冒頭部分(27-8)については、『存在と時間(一)』(岩波文庫)の熊野純彦氏による注解を参照。

現代ではふたたび「形而上学」が「肯定」されえちるにもかかわらず、存在の意味への問いは「忘却されている(in Vergessenheit gekommen)」とハイデガーはいう。プラトンが語った、「真に存在するものをめぐる巨人の戦い」への努力が忘れられ、アリストテレス以来、それなりの変容を受けながらも、ヘーゲルの『論理学』まで一貫して問われてきた問いががトリヴィアルなものとみなされるようになっているのである。(ハイデガー存在と時間(一)』73)

「忘却」という語はここでは能動的な意味を帯びており(失念(Vergessen)ではなく忘却(Vergessenheit)である)、抑圧するという含みをもっている。ハイデガーは、いきなり同時代の哲学者たちに痛烈な批判を浴びせる。彼らは皆この忘却に加担していながら、形而上学の再興という下手な手口の背後にそれを隠しているというのである。(ジャン・グレーシュ『『存在と時間』講義』87)

 

「存在の問いを不明瞭にしていた三つの先入見」(28)とは、「普遍性、定義不可能性、自明性」であり、「それによって、存在の意味への問いを免除するように見えるこれらの特徴が、実は直ちに存在の意味への問いに立ち戻らせるものであることが明らかになるのである。」(ジャン・グレーシュ『『存在と時間』講義』88)

 

存在論の歴史の解体にはっきりと割り当てられた第六節のなかで、ハイデガーは、ヘーゲル主義が、まさに自分が解体しようとする存在論の伝統に所属していることを主張します」(28)として引用されている箇所については、熊野純彦氏による注解を参照。

ギリシア存在論」が、歴史的な変転を経て「哲学の概念的構成」を現在まで規定している。その原型と展開が示しているのは、「現存在」と「存在一般」とが「世界」の側から理解されてきたことである。ギリシア的な存在論が、中世ではその根をうばわれて「教義組織」となったとはいえ、スコラ的な「体系構成法Systematik」には、なお「多くの発展的な作業」が隠されている。その存在論は、スアレスを介して、近代の「形而上学」と「超越論的哲学」へと結実し、(伝統をたんに「新たな加工されるべき素材Material」ととらえる)ヘーゲル『論理学』へといたる。そうした経過のうちで特定の「存在圏域Seinsbezirk」、つまり、デカルトの<考える私>、さらには「主観、自我、理性、精神、人格」が以後の「問題設定Problematik」を主導してゆくことになった。その存在圏域については、まさにその「存在」は問われないままなのである。(ハイデガー存在と時間(一)』153-4)