yamachanのメモ

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ブラック・ジャックの「カケ」について

ブラック・ジャック』に次のようなシーンがある。

BJ なぜそうやると助かるのか私にもわからないのだが……。だが私は、アフリカで5人の獅子面患者を手術したことがあります。この方法で三人はなおり、二人は死んだ!

医者 すると…カケだな?

BJ まあカケでしょう。

医者 患者の命を生かすか殺すかカケるとは許せんっ。

BJ じゃあ、あなたがたはカケてはいないのかっ。あなたがたはいつも患者がかならずなおると保障して治療をしているのですかっ。そんな保障のできるものは神しかいないっ。…われわれは神じゃない…人間なんだ!!…人間が人間のからだをなおすのは…カケるしかないでしょう……?(『BLACK JACK 6』秋田文庫.116-7) 

この発言を聞き、手術の様子を見た医者は次のように言う。

医者 ひとついえることは、あの男(=BJ)は信念を持ってやっとります。(同119)

また、『BLACK JACK 1』では、本間先生を手術したが死亡してしまったことについて「私は完全だった。ミスはなかったはずだっ」(109)と言うブラック・ジャックに対して、本間先生の亡霊は次のように語りかける。

人間が生きものの生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね………………(同110)

以前、政治と哲学における「賭け」についてまとめたことがある。

SEALDs関連本の読書メモ - yamachanのメモ

この時にSEALDsが使う「賭け」という言葉に引っかかったけど、ブラック・ジャックや本間先生の言葉を読んで、その理由がわかった気がする。ブラック・ジャックは、自分の行為や選択の結果が不確定なことについて「カケ」と言っているのではなく、そもそも自分の行為や選択自体に「おこがましさ」を感じており、その「おこがましさ」があってこその「カケ」なのだと思う。そして、その「おこがましさ」とは、人間が対象を支配・制御・コントロールできるという考えに対する「おこがましさ」である。これが欠如しているところに「カケ」は存在しないのではないか。

もちろん、人間の行為や選択自体がおこがましいから「何もしない」のではない。「おこがましい」にも関わらず、そしてその行為や選択の結果が不確定であるにも関わらず、我々はそれぞれのやり方で行為・選択していくのである。このことを自覚して、自分なりのやり方で行為・選択し、その結果を引き受けていくこと、これこそが信念を持つことなのである。