yamachanのメモ

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お買いもの『三島由紀夫の言葉』

そういえば、昨日、本を買っていた。佐藤秀明編『三島由紀夫の言葉-人間の性』。

三島由紀夫の言葉 人間の性 (新潮新書)

三島由紀夫の言葉 人間の性 (新潮新書)

 

新潮文庫の表紙のようなデザインだから、異様に縦長に感じてしまう…。

さて、本書の中で、「われら衆愚の政治」という項目があり、そこで紹介されている三島の言葉が興味深いのでいくつか紹介。

胃痛のときにはじめて胃の存在が意識されると同様に、政治なんてものは、立派に動いていれば、存在を意識されるはずのものではなく、まして食卓の話題なんかになるべきものではない。政治家がちゃんと政治をしていれば、カジ屋はちゃんとカジ屋の仕事に専念していられるのである。現在、政治は民衆の胃痛になり、民衆の皮膚はアレルギーの症状を示し、異常に敏感なその皮膚は、何事もまず皮膚で感受しようとする。こういう状態こそ政治的危機である。(172)

これは1960年の「一つの政治的意見」からものものである。三島が感じた「政治的危機」は今目の前にある危機でもある。しかし、政治が立派に動いて(いるように見えて)いて、その存在を意識されない状態が良いとも思えない。ただ、異常に敏感にならざるを得ない状況は危機的状況だし、異常に敏感になって何事もまず皮膚で感受しようとする我々の状態も危機的状況であると言えるだろう。

もう一つ「幸せな革命」からの言葉を紹介。

日本という国は、自発的な革命はやらない国である。革命の惨禍が避けがたいものならば、自分で手を下すより、外力のせいにしたほうがよい。今度の文学座の分裂事件は、明治維新の如く、外力による幸せな革命であった、というのが私の意見だ。さて、この復興には時間がかかる。ところが、復興という奴が、又日本人の十八番なのである。どうも日本人は、改革の情熱よりも、復興の情熱に適しているところがある。(174) 

 この「復興の情熱」という観点は面白く、福嶋亮大『復興文化論』を読みたくなった。

復興文化論 日本的創造の系譜

復興文化論 日本的創造の系譜

 

福嶋亮大氏は、「出来事の後=跡に新しい題材や方法論を呼び込みながらシステムに再び活気を与えること、それが日本の復興文化の本義というものであった」(11)と指摘し、「私は今日の世界の状況を踏まえつつ、日本が長年かけて練り上げてきた復興文化を一つの価値体系として復興したいと思う」(21)と語っている。楽しみにしつつも未読の一冊。