yamachanのメモ

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これからの都市計画には「知」が必要

都市計画について考えることがあり、『白熱講義 これからの日本に都市計画は必要ですか』を読んだ。

白熱講義 これからの日本に都市計画は必要ですか

白熱講義 これからの日本に都市計画は必要ですか

多様な視点から、都市計画の過去、現実、未来を描いた良書でであり、都市計画に直接携わっていない行政職員にもぜひ読んでほしい一冊。「本書で提示されている問題が、自分たちにとっても問題である」ということを認識できるかどうかにより、その職員の「質」がわかると言ってもよい。

まず注目すべきは、蓑原敬氏の次の発言だ。

日本人が書いた本を、僕が育ってきた計画的なカルチャーから見ると、ずいぶん内容が偏っています。まず、相変わらず都市計画は工学的なエンジニアリングだと言い続けているのですが、それは間違いです。都市計画はエンジニアリングではありません。最近、英語圏でもアーバンプランニングとは言わず、アーバニズムという言葉を使いだしていますが、都市計画を社会現象、文化現象として意識していることの現れです。

だから、計画の歴史について哲学的、社会科学的な議論が出てきません。欧米の場合は、そういった背景を踏まえたうえでエンジニアリングを議論しているのですが、日本ではそれがありまえん。だから科学としての内省に立った、都市計画の位置づけ、特に現実の都市の多面的な社会経済現象としての諸条件の分析、将来に向けての目標像、ビジョンのあり方、それを実現するための手段のあり方、そのような一連の計画、実行、計画の修正にかかる意思決定のあり方などについての客観的な記述がほとんどなされていない。大部分の人は、都市計画とはただの制度に過ぎないと思っていませんか。(16-17)

以前、都市計画に携わっている職員と話をしたときに、「計画の話は完全に『技術的なこと』やからね」と言われたことを思い出す。その職員に都市計画の位置づけや歴史について質問したことがあったが、結論としては「そんな知識は不要」ということだった。僕はどのような仕事においても、全体な中での位置づけや歴史について知る必要がある、という立場の人間なので、都市計画についても同じ認識である。だから、中島直人氏の「私としては、設計主義的に決める部分もあるけれど、歴史を参照することが重要だと思います」(103)という発言は、本当にその通りだと思う。

あと、蓑原氏の次の発言も重要。

自治体にルソーが言うような一般意思が本当に存在しうるかどうか、個別の利害の総和ではない、全体の幸福のための全体意思がありうるかどうかということが、今問題にされていて民主主義の原点に返った議論をしなくてはいけないと思っています。(88) 

こういう話をできる人が近くにいたら、とても楽しいだろうな、と思ってしまう。「ルソー?試験勉強の時に出てきたような…」というくらいの世界やからなぁ。

本書で投げかけられている「世界標準の都市計画に対する日本の都市計画の歪みを矯正し、近代都市計画を完成させよ」、「今や「計画」の理念を大きく転換し、現代都市計画へと脱皮させなければならない」(251-252)というメッセージから感じたこと、それは「これからの都市計画には「知」が必要である」ということだ。つまり、「哲学的、社会科学的な議論」を踏まえたうえで、都市計画を考えることである。