yamachanのメモ

日々の雑感や文献のメモ等

千葉雅也×マルクス・ガブリエル「「新実在論」「思弁的実在論」の動向をめぐって」

 マルクス・ガブリエルの哲学に対して、その批判点を本人へ直接質問している大変面白く、勉強になる千葉雅也氏との対談「「新実在論」「思弁的実在論」の動向をめぐって」(『ニュクス 5号』所収)のメモ。

相対主義実在論

千葉:あなたの理論では、実在というのは「意味の場」ごとに実在があるということになっている。…あなたはこの理論によって、ポストモダン相対主義を批判しているわけです。しかし、このある種のパースペクティズムとも言える立場は、新たな相対主義であるようにも見えないでしょうか。つまり依然として、話の構造は、見方によって様々なものがあるということになっていて、ただしそれがパースペクティズムごとに単に理念的なものではなくて、それぞれが実在しているというわけです。これは、一言で要約するならば「相対主義実在論化」とまとめられるような立場ではないかと思うわけです。

ガブリエル:第一に「意味の場」はパースペクティブではないということです。
…真の意味でのパースペクティブというのは、とある立場から直接的に見ることのできるものです。…「意味の場」の例として私は、「文字通りのパースペクティブ」を挙げています。
…私は「存在(existence)」が「意味の場」に対して相対的であると主張しているのです。両者とも実在(reality)についての科学的な主張です。…つまり、実在というものが「意味の場」に対して相対的であると主張しているのです。
だから、私はこれがポストモダン的な相対主義実在論化ではまったくないと思っています。(305-7)

 

相対主義存在論

千葉:そうだとするならば、あなたの理論はある意味で「非常に洗練された」相対主義存在論であると呼ばれても、それは構わないということになりますか?

ガブリエル:そうです。ただしその意味で言うならば、物理学もそういった相対主義の洗練された理論の一つになります。(307)

 

○自然科学と人文学

千葉:あなたの理論ですと、文学的な「意味の場」の中で虚構的な何かが実在するということと、自然科学-これもまた一つの「意味の場」ですが-の中で何かが実在するということとは、どのような関係になっているのでしょうか。それは存在論的に言って対等だということですか。

ガブリエル:ええ、確かに、たとえば物理学もしくは生物学の対象(object)というのは虚構的な対象と異なる科学(science)、異なるレベルであるために、虚構的な対象と非常に異なったものであると言わなければなりません。私に言えるのは物理学の多くの対象はただ単に虚構的な存在者でないということであって、一方で全ての文芸批評や文化批評のオブジェクトは虚構的な対象であるということです。(307-8)

 

○存在の一義性

ガブリエル:それらは全て、存在と呼ばれる同じ存在論的なステータスを持っているのです。…動きの事実は現実に存在している枠組みに対して相対的なのであり、存在している事実もまた、現実に存在している「意味の場」に対して相対的なのです。…虚構的なオブジェクトもまた実在論的には物理学や生物学といった自然科学の研究の中でのオブジェクトと同じものであるということです。実在というステータスにおいては同じ意味を持っているのです。

千葉:なるほど。そうすると、ありとあらゆる意味の領域にわたって存在は一義的だということになるのでしょうか。

ガブリエル:そうです。一義性というのは正しいと思いますが、それはおそらくそれが理論の効果といいますか、…理論をもつときにはいつでも、クワインの言葉で言うと…存在論的なコミットメントと理論構造をもつことになります。
一義性(univocity)は理論の効果ですが、それはコミットメントではありません。しかし、それが実在していないということを意味しているわけでもありません。(308-9)

 

自然主義批判

ガブリエル:自然主義とはつまり自然科学の知識が唯一の知識であるか、もしくはもっともすぐれた種類の知識であるという見解のことです。私は様々な優秀な自然科学者の人と会話することがありますが、自然主義という世界観が自然科学から導き出されるものではないと私は思っています。
世界的にも行政権力の座につく人の中には自然主義者が多いのですが、これは純粋なイデオロギーです。そのための自然科学的なエビデンスはありません。…自然主義は気候変動と同じくらい危険です。(310-1)

 

ポストトゥルース

千葉:あなたの理論は今日「ポストトゥルース」と呼ばれている状況に関係するとおもうんですね。…一つの不可能なもののまわりに解釈が繁殖するという構造自体が終わったというのが、ポストトゥルースの状況だと思うんですね。そうすると今や、多数多様なものは解釈ではなく、ファクトが多数多様になっている。それがあなたの理論が言っている「実在の多様性」だと思うのですが、いかがでしょうか。

ガブリエル:存在(実存、existence)と真理が同じだとは言っていません。たとえ誰かが誤った信念(見解、belief)を持っていたとしても対象は存在していますね。だから私の信念は真実なのです。誤った信念が存在している、ということです。そして誤った信念は強力になりえます。なぜならその存在が認められるのですから。
…この誤った信念は実在的な対象(real object)です。新しい事実があるのです。すなわち、この人は誤った信念をもっているのだという事実です。
現代の情報化社会について私はこう思っています。これはポストトゥルース(more truth)です。残念ながら、モアトゥルースにおいて私たちが今持っているほとんどの事実は、人々が誤った信念を持っているということなのです。(311-2)

 

○信仰主義の問題

千葉:メイヤスー的に言えば、依然として信仰主義が問題ということになるわけですね。

ガブリエル:はい、まったくそうです。…彼(メイヤスー)が相関主義というものが-これは私の言葉ではポストモダニズムですが、それを何と呼ぼうとも-信仰主義、つまり何を信じてもよく、そして正当化といったものは存在しないといった考えを引き起こしている現象なのだと想定する点においてカンタンはまったく正しいのです。これに関しては、ヴィトゲンシュタインハイデガーが問題の原点だということも彼に同意します。(313)

 

オブジェクト指向存在論批判

千葉:オブジェクトという概念によってすべてのものの全体化をしている。それに反してあなたは「世界は存在しない」と言っているのですね。

ガブリエル:まさにそうです。それゆえオブジェクト指向存在論もまた間違っているのです。それは間違った理論であり、代わりになる(optional)ものでもありません。

千葉:理論自体がメタレベルですべてものものを全体化しているのだと。

ガブリエル:そしてそれゆえに還元主義者はすべてのものをオブジェクトに還元するのですが、それは間違っています。

千葉:だどすればあなたの立場は真の多元主義ですね。

ガブリエル:まさにそうです。真の多元主義です。すべてのものを視野におさめることのできる立場は存在しないし、そのような立場はありえません。(317)

 

多元主義と共存在

千葉:本当の多元的な状況において、共同体をつくる、ある種の合意形成をするにはどうしたらいいのでしょうか。根本的に別の存在があるとして、どのような共存在が可能なのでしょうか、もし世界が存在しないのならば。

ガブリエル:まさに全体性というものがないからこそ、重なり合いが可能になるのです。…すべての構造はローカルなものです。だから重なり合いが可能であり、そこの何の問題もありません。そのことで人々は私のやっていることが西田〔幾多郎〕と類似しているのだと考えているのでしょう。(317-8)

 

○偶然性

千葉:全体性がない、というのは、偶然性が作動しているということだろうと思いました。

ガブリエル:そうです。日本語でも出版される予定のFields of Senseという私の本のなかで私は述べているのですが、偶然性についての私の現在の見解はこうです。まずその答えはイエスです。これについての私の現在の見解は、必然性と偶然性は対象と、ある「意味の場」の間の関係であるというものです。…ほとんどの「意味の場」には偶然性があります。そして数学においても偶然性があるのです。(318-9)