yamachanのメモ

日々の雑感や文献のメモ等

マルクス・ガブリエル「『なぜ世界は存在しないのか』入門」(『現代思想 2018.10月臨時増刊号』所収)

 「『なぜ世界は存在しないのか』の内容を踏まえ、ガブリエルに基本的かつ本質的な疑問を投げかけている」(19)インタビューとのことであるのでメモ。

○ガブリエルの哲学上の立場

ガブリエル:私はきわめて伝統に忠実な現代の哲学者です。…私はただ理性そのものの構造を徹底的に調べているだけなのです。…結果的に、私はある新しい形の実在論を宣言するグループに与することになりました。ここでの新実在論とは、実在するものがそれ自体においていかなるものかを、古きよき哲学的議論をもちいてじっさいに説明できるという思想です。…理性はきちんと仕事を果たすならば、事物がじっさいに存在しているあり方をじかに捉えることができるのだと考えています。(9)

 

○新実在論

ガブリエル:新しいところは、新実在論を二つの原理の組み合わせとして定義しているところです。ひとつは、私たちは事物をそれ自体において〔実在において〕把握できる、という原理です。…もうひとつの原理のほうは、革新的なものです。すなわち、事物それ自体は、「世界」というひとつの領域に属しているわけではない、という原理です。ですから、ここでの新実在論とは、世界なしの実在論です。(10)
この本では、存在という概念を分析することから始めています。つまり、「存在」とは何を意味するのか、から始めるのです。〔そしてその答えは以下の通りです。〕私たちがある事物に存在を帰するとき、それは、場所における一定の限定があることを意味しています。つまり、事物がどこかにあると通常考えます。…存在という観念は、位置の観念を伴うのです。(11-2)

 

○多元論

ガブリエル:私は多元論者です。それは、存在を実態から説明しようとしても、ありとあらゆる存在者を統合できないということを含意しています。ですから、存在そのものは、諸事物の統一的な特徴ではありません〔「ある」にはいろいろな意味があります〕。事物は果てしなく多くの領域にあるのです。…多元論者は、果てしなく多くの存在という領域にある存在者に、根本的に関与しているのです。(12-3)

 

○意味の場

ガブリエル:集合は存在論的な重要性をもっていません。〔通常〕「領域」について話すとき、それはきわめて曖昧です。まさにいかなる領域をも意味しています。…私はそれを、もっと明晰に定義された概念を置き換えます。つまり、その概念を「意味の場(field of sense)と呼ぶことにしているのです。意味の場とは、規則によって排他的にするという条件のもとで対象が現象する場です。…ある領域を他の領域から区別するものは規則であって、その規則は、正しい思考が、諸領域において諸対象を入手できるようにするのです。(13)

 

ヘーゲル主義

ガブリエル:私はヘーゲル主義的なことを論じているわけではないのです。ヘーゲル主義によれば、理性が事物に行き渡り、理性が把握する仕方にしたがって事物が神秘的に創り上げられる。したがって理性と事物が連鎖するのです。私はそうした描像を否定します。それは私にとっては過度に一般化しているように思われます。理性は、存在するものにとってそれほど中心的ではありません。ただし、たったひとつの形式の理性があるおかげで、理性はよりいっそう中心的であったり、なかったりするのです。(14)

 

○芸術作品

ガブリエル:芸術作品は私たちに、対象がいかなるものかを教えてくれるのです。ただし、芸術作品はつねに自分自身を超えていき、対象が本質的にいかなるものを語り掛けてくる。芸術作品は、私が展開しているような存在論に味方してくれるのであり、模範的に語るのです。そのとき、事実上、芸術作品は互いのうちで語り始めることができる-つまり〔例えば〕「いいや、これは対象の本質ではない」や「いいや、あれは対象の本質ではない」、と。まさにこうした事実、つまりは芸術作品のあいだの不一致は、私が擁護しようとする哲学的な描像とまさに両立するものなのです。(17)

 

○真理

ガブリエル:真理が意味しているのは、あることがあることにあてはまること、あることが事物の真のありかたという客観的な特徴を有することでしょう。
…少なくとも、それは、あるものがなんらかの性質をもつことを意味しています。しかし、〔そこには〕客観的な関係があると思います。ですから、多くのパースペクティヴの実在性-意味の場-は客観的な構造をもっていますし、その構造は、真なる言明をなすときに明らかになる構造ときわめて似ています。ですから、実在は、さまざまな論理形式をもっています。(18)