東浩紀はスラヴォイ・ジジェクについて、「ラカン派精神分析の見事な整理(理論的側面)」と「その図式を具体的な批評に応用する際のフットワークの軽さと芸の巧みさ(実践的側面)」から評価されていると論じていた*1。『夜航Ⅴ』の特集「ジジェク以降のドイツ観念論へ」は、そのジジェクの「理論的側面」、しかしラカン派精神分析ではなく、ドイツ観念論に注目している点が特徴的である。ジジェクのインタビューを取り上げ、中村徳仁が指摘しているように、ジジェクにとってドイツ観念論の現代的読み直しが「最も重要なライフワーク」(5)である以上、ジジェクの哲学・思想を理解する上で必読の特集である。
とはいえ、ドイツ観念論やジジェクの専門家ではない私のような人間にとって、各論考一つ一つの内容を理解するのは困難であろう。しかし、本書のまえがきや訳者解題、解説論文、さらには本特集の構成そのものが「ジジェク以降のドイツ観念論」を読み解く航路を示してくれている。まず、特集まえがきで、ジジェクの思想とその受容のされ方を紹介し、ジジェクとドイツ観念論との関連を論じている。そして、主な思想潮流を取り上げ、本特集の論文をそれぞれに位置づけて解説している。
次に、木元裕亮「ジジェクの弁証法的唯物論とはなにか-その哲学史解釈を通じて」では、ジジェクの「弁証法的唯物論」を思想史・哲学史的に論じている。ここではカント、ヘーゲル、ハイデガーやフロイト、ラカンが取り上げられており、ジジェクとドイツ観念論との関係についての総論とも言うべき内容で、ジジェク哲学の入門にもなっている。さらに、本論文ではジジェクの「読み方」が次のように示されており、ジジェクを読み解く際の参考になる。
ジジェクの思考の基本構造を理解しようと思うなら、現にある著作のつながりを絶対視せず、それを適宜バラバラにして、ジジェクの中核的ないし一貫したモチーフに沿って配置しなおさなければならない。そして、その中核的なモチーフを探し出す際に手がかりとなるのは、ある思考の断片がどれほどの頻度でジジェクの著作の中に現れるかということである。というのも、その反復の頻度がそのまま彼にとっての重要度の指標になっていると考えられるからである。(16)
エイドリアン・ジョンストン「超越の内在性-カントからヘーゲルへ」は、カント、シェリング、ヘーゲルを主軸に「超越」の性質を規定する試みである。木元論文においても「限界づけが超越に先立つ」(21)というジジェクのフレーズが紹介されており、ジョンストン論文はこのことを詳細に論じている。そして、この内在と超越への問いこそが、ドイツ観念論が取り組んだ問題を浮き彫りにしているのであり、そのような観点からジョンストン論文は本特集において重要な位置を占めている。
イアン・ハルミトン・グラント「根拠の不充足性-ジジェクのシェリング主義について」は、ジジェクの「シェリング主義」を「気づかれざるフィヒテ主義」(71)と批判しつつ、シェリングの自然哲学をジジェクとは別の仕方で論じている。前出のジョンストン論文では「超越」という「高さ」が、グラント論文では「下降的哲学」という「深さ」が扱われており、両者を対比的に読むことが重要である。
そして、本特集の最後には、ジジェクへのインタビュー「「偶然性の必然性」と「必然性の偶然性」-ブラシエとメイヤスーへの応答」が掲載されている。ジジェクはインタビューの中で、「メイヤスーの試みを興味深いものにしているのは…見かけよりもヘーゲルにきわめて接近しているからです」(118)、「メイヤスーがヘーゲルを批判する場面でさえ…、ヘーゲルのタームを頻繁に、そして体系的な仕方で用いている」(121)等、メイヤスーとヘーゲルの「近さ」を指摘しつつ、「メイヤスーは必然性と偶然性の間の正確なヘーゲル的関係を決定的に単純化しています」(123)と述べ、自らの立場を次のように説明している。
実在として経験されるものは、主観的-超越論的地平によって従前に決定されているのか、あるいは主観性とは独立の実在のあり方について何ごとかを知りうるのか。メイヤスーが主張するのは、独立の「客観的」実在への突破を達成することです。ヘーゲル主義者の私には、第三の選択肢があります。メイヤスーの基本的な思弁的身振り(私たちの実在概念の偶然性を物自体への投影する)を演じたあとに登場する真の問題は、実在それ自体についてさらに何か言えるかということではなく、私たちの主観的観点、そして主観性それ自体が実在に適合するかということです。つまり問題は、「主観的に構成された現象のベールから物自体へとどうやって侵入するか」ではなく、「現象それ自体がどのようにして、ただあるだけの実在の平凡な愚かさのうちで生起するか、どうやって実在は自らを二重化し、それ自身に対して現れるか」です。(125)
ジジェクのこの「第三の選択肢」の背景にあるのが本特集で論じられているドイツ観念論である。激変する世界において、内在と超越、個の存在と実在についての関心が高まっているため、それらの問いに取り組んだドイツ観念論が注目されているのかもしれない。そして、そのドイツ観念論を「現代風に読み直す」(5)ジジェクの理論的側面、また、実践的側面から目が離せない、本特集はそのように思わせる充実した内容である。