yamachanのメモ

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宮台真司・藤井誠二・内藤朝雄『学校が自由になる日』

宮台真司氏は、ジョン・スチュアート・ミル『自由論』を挙げて、「リベラリズムとは、個人の尊厳を与える、愚行を含めて自己責任でなされる自由な試行錯誤を保証するような社会制度に、価値的にコミットする思想的態度を示すもの」(17)と説明している。ポイントは「価値的にコミットする思想的態度」であり、宮台氏は本書においてこの点を繰り返し強調している。

リベラリストは、一方で「政治的自由」すなわち政治に参加する自由を主張し、他方で「市民的自由」すなわち政治からの自由-政治不参加の自由-をも強調します。ただし、リベラリスト本人は、そういうリベラルな社会体制に価値的にコミットし、いま述べた「政治的自由」を行使して、そういう価値的コミットをする人を増やそうとします。(265-6)

リベラリズムとは、自由を支える社会的な前提の確保に、価値的にコミットメントする立場だと言えます。(266)

リベラリズムの大枠、すなわち「共生原理を侵害しない限りは何をしてもいいが、共生原理を侵害してはいけないという価値にコミットしてもらわないことにはどうにもならない」ということを、残念なことだけれども、上から注入する必要があるわけです。(275)

リベラリズムは…人々が自由に生きられるために必要な社会的前提の維持に向けて、価値的にコミットメントすることが必要だというようになりました。(275)

リベラリズムというのは、社会成員のできるだけ多くが、ある中核的な価値にコミットすることを要求する思想です。(277)

リベラリズムは…自由を支える社会的前提をサポートせよ、自由を支える社会的前提を破壊するな、という規範的な価値へのコミットメントを提唱する思想であるわけです。(281)

そして、リベラリズムコミュニタリアニズムとの論争を経た結果、「リベラルな多元主義-共生条件を満足した上での自由は多元主義の推奨-という立場をとらざるを得なくなる」のであり、「共生問題」に行き着くと宮台氏は説明している(277)。

「価値や理念を論じるための前提となる価値へのコミットメント」というリベラリズムの思想的態度を説く宮台氏の議論は、現代において再度注目すべきものであろう。