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濱真一郎「卓越主義のリベラル化とリベラリズムの卓越主義化」(『思想2004.9』)

本論文では、ジョン・ロールズ、ロナルド・ドゥオーキン、ジョセフ・ラズに依拠して、リベラリズムと卓越主義の関係が論じられている。

ロールズの政治的リベラリズムは「民主的社会に現存する重複的合意」に由来するものであり、包括的な善き生の教説には踏み込まずに、善き生の実現は個人に委ねていることから、「反卓越主義的な企て」である(30)。このような政治的リベラリズムに対して、ドゥオーキンとラズは包括的リベラリズムの立場から批判している。

ドゥオーキンは、「人間の批判的福利をより適切に説明できる、挑戦モデル」によって、「リベラリズムを包括的に基礎づけ」、「リベラルな共同体」の構築を求めている(32)。また、本人が是認する短期で非侵略的な文化的パターナリズムは認めつつも、「その危険な魅力に抗し、中立性と寛容の理念によって、本人の意思に反して善き生を強制することを禁止」している(34)。以上から、ドゥオーキンは「卓越主義をリベラル化しようと試みる点で、中立的で反卓越主義的な性質を堅持している」(34)のである。

一方、ラズは、中立性の理念を堅持するドゥオーキンとは異なり、「中立性の理念に与することなく」、「リベラリズムの卓越主義化の試み」(34)を擁護する。具体的には次のような立場である。

ラズの卓越主義的リベラリズムは、国家は市民の善き生が何であるかを考慮した上で、市民が善き生を送るために必要な、通約不可能(incommensurable)な複数の善き選択肢を保護・促進する義務を有する、という立場である(34-5)。

このような卓越主義は道徳の強制につながる可能性があるが、ラズは価値多元論に依拠し、特定の善き生を押し付ける道徳的パターナリズムを、「例外的な場合」を除いて全面的に否定する。この「例外的な場合」とは、「人が他者に危害を加える場合と、人が他者の自律する条件を侵害する場合」(38)のことである。そして、このような例外的なパターナリズムが画一的な卓越主義的な政策とならないように、権威論と法理論に依拠して原理的な歯止めをかける。このようにしてラズは、「自律と価値多元論を尊重する卓越主義的リベラリズムの実現、すなわちリベラリズムの卓越主義化」(40)を目指す。

三者リベラリズムの探求は、リベラリズム陣営のH・L・Aハートとバーリンの影響を受けていることを濱真一郎氏は指摘している。現代においてリベラリズムの立場から実践するためにも、本論文で紹介されているリベラリズム陣営の思想的・理論的営みを学ぶ必要がある。