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伊藤恭彦「現代リベラリズム」(有賀誠・伊藤恭彦・松井暁[編]『ポスト・リベラリズム)

伊藤恭彦氏によると、「現代リベラリズムの規範の根幹は、個人の自由の拡大を反権力あるいは反介入政策と結びつけるのではなく、個人の福祉の向上に対して政府や社会が責任をもつべきであると考えと結びつける点にある」(5)とのことである。そして、現代リベラリズムの代表がジョン・ロールズであり、ロールズ批判を通じてリベラリズムは深化していく。

伊藤氏が本稿におい取り上げている論点は、リベラリズムの「中立性原理」と「平等規範」(14)であり、前者の代表的な論者としてB・アッカーマン、後者についてはR・ドゥオーキンを紹介している。ロールズ、アッカーマン、ドゥオーキンについて、「差異はあるが、基本的にリベラリズムの真髄の一つを中立性に求めている」(18)として、次のように指摘している。

その(リベラリズムの真髄の一つを中立性に求める)論拠は価値が多元化した現代においては、善の選択はあくまでも個人にゆだね、国家や社会システムの設計において要請される規範はあくまでも個人間の外的関係をするものに限定されるべきであり、それが個人を尊重することになるというものである。ただし、その際、すべての人間に可能な限り平等に自らの善を実現する条件が保障されるべきであり、そのためには国家による所得再分配政策や積極的な差別是正政策を求めるのである。(18)

しかし、このような現代リベラリズムの中立性に対して、リベラリズムといえども善に対して中立ではありえないという、W・ギャルストンのような議論がある。つまり、「リベラルな体制においてもある種の実質的な道徳的な確信の共有が必要」であり、「リベラリズムも実は暗黙のうちにある種の共有された善を前提にしている」(18)ということである。伊藤氏も指摘しているように、このようなギャルストンの議論は、「リベラリズムの基礎を強化するもの」(18)と言えよう。

このような現代リベラリズムの規範理論の共通点として、「個人主義的な規範理論である点」(19)と「個々人が選び取った価値が十分に実現できるように、人為的に財の分配をコントロールしようとする点」(20)を挙げている。私たちの社会は十分に個人主義的であるのか、また、財の分配は十分にされているのか、このように問うてみると、リベラリズムが現代においても重要な思想であり続けていることがわかる。