近年注目を集めている実在論はどのようなものなのか、そしてその注目は何を意味するのか、これらの疑問を解消するために3冊の本を読んでみた。
1 千葉雅也『思弁的実在論と現代について』
思弁的実在論を主題とする対談と、思弁的実在論の実践的適用をめぐる対談からなる。特に、岡嶋隆佑との対談「思弁的実在論と新しい唯物論」は、思弁的実在論入門として参考になる。また、アレクサンダー・ギャロウェイとの対談「権威(オーソリティ)の問題」における「思弁的実在論という名の欲望」(133)に関する議論は、思弁的実在論が注目される背景について議論されている。千葉雅也さんの次のような指摘は大変興味深い。
メイヤスーにとっての偶然性は自然法則のそれであって、世界内的な出来事の不安定性(それは我々にとって有意味である)ではないですよね。にもかかわらず、多くの人が彼の理論に惹かれているのは、存在論的な意味での偶発性(ハイパーカオスの)と、存在的な意味での不安定性(たとえば、金融市場の変動など)との混同のゆえなのでしょう。(139)
そして、本書では思弁的実在論における「他者論」や「倫理」の問題について議論されており、哲学に留まらない政治思想・政治哲学とも関連する射程を持つ内容になっている。
2 岩内章太郎『新しい哲学の教科書』
カンタン・メイヤスー、グレアム・ハーマン、チャールズ・テイラーとヒューバート・ドレイファス、マルクス・ガブリエルに注目し、それぞれの実在論を説明するとともに、「私たちの生きかたにどのようにかかわるのか」(6)という観点から、実在論を実存論として読み解く。千葉雅也『思弁的実在論と現代について』への言及もあり、「思弁的実在論という名の欲望」という視座を共有していると思われる。
本書が興味深いのは、「高さ・超越性(思弁的唯物論、オブジェクト指向存在論)」と「広さ・普遍性(多元的実在論)」から実在論を解釈し、ガブリエル(新しい実在論)に「高さと広さとは別の仕方で現実的に生きる可能性」(30)を見ている点だ。
ガブリエルは世界の非存在を主張するが、それが言わんとするのは、世界全体を説明する単一の世界像は存在しない、ということだ。高さと広さについての通俗的観念をいったんご破算にしてもなお、「陽気な怪物」はその状況を喜劇と見るだけの強さを持つ。尽きることのない意味に取り組み続けることが-それ以外に道はないという自覚が-現実的に生きることである。(252)
このように、「私たちはどう生きうるのか」(244)を語る本書は、3冊の中で最も自己啓発的なものに近接しうる著作であり、研究者以外の方にとっても面白く読める一冊であろう。
3 河野勝彦『実在論の新展開』
カンタン・メイヤスー、ロイ・バスカー、マウリツィオ・フェラーリス、マルクス・ガブリエル、グレアム・ハーマンの理論を解説、批判し、著者自身の実在論を提示する、3冊の中では最も理論的な著作。メイヤスーには4章を割いており、メイヤスーの解説書として読むこともできる。また、千葉雅也『思弁的実在論と現代について』において、メイヤスーとデカルトの近さが語られおり(85-6)、デカルトを研究し、『デカルトと近代理性』という著作も出版されている著者が、実在論の新展開を論じている点も興味深い。
実際に、本書ではデカルト研究と実在論の新展開との関係についての言及がある。著者は、ハーマンの「感覚的対象・性質と実在的対象・性質の対比を、知覚的世界と物理的世界の対比として言いかえ」(249)、この両者の世界が「身体的な近傍において重なっている」(253)としており、それがデカルト研究での結論と結びつくのだ(253-4)。その他にもカントやライプニッツ、ヒュームとの関連も議論されており、参考になる。
実在論の理論的展開や論証方法を解説・批判し、著者自身の実在論を論じる本書は、他の2冊のような実践的・応用的な議論が無いため理解しづらいところもあるが、近年の実在論を学ぶ上で必読の一冊である。