yamachanのメモ

日々の雑感や文献のメモ等

許紀霖『普遍的価値を求める-中国現代思想の新潮流』

 「経済的には社会主義、文化的に保守主義、政治的には自由主義」(299)を自身のスタンスとする著者が、「新天下主義」を目指すべきものとして掲げ、歴史主義、国家主義、新儒家という三大反啓蒙の思潮を批判したのが本書である。タイトルからは哲学・現代思想を思い浮かべるが、本書では「政治的なもの」について議論が展開されており、哲学・現代思想と「政治的なもの」との関係を考える上でも参考となる。
 著者が掲げる「新天下主義」には、「脱中心と脱ヒエラルキー化」と「新たな普遍的天下の創造」という二つの特徴があり、それは「承認の政治」に基づいている(60)。そして、「世界的な規模で見れば、「新天下主義」はまさに人類に共有されうる新しい普遍的な価値と秩序を模索するもの」で、「新しい普遍性は、自由、権利、デモクラシー、平等、博愛、富強、幸福、和睦などの価値の組み合わせ」であり、「家族的類似」として現れる(ⅶ)。
 さらに、新天下主義の普遍性は「重なり合う合意」(64)を特徴としており、「多くの根からなる自由主義」(179)でもある。著者は自由主義について次のように主張する。

自由主義は謙虚な心を持つ必要があり、自らの不完全さを受け入れ、様々な枢軸文明と接続することに力を注ぎ、そこから自己の根源に対する感覚を見つけ出さなければならない。そうした文明の根源を持つと、自由と平等を政治における「正しさ」にすることができるだけでなく、文明における「善」なるものや同感できるものにすることができる。(179)

 これらの主張からなる本書からは、「知識人」としての著者の倫理と使命を感じ取ることができる。「知識人は政治家ではない。知識人は政治を左右できないが、観念に影響を与えることができる」(27)と考える著者は次のように語る。

わたしとしては、知識人という存在は、精神的な存在であり、責任感を持って、ある種の神聖性と普遍性を体現している存在でなければならないと思っています。…普遍性に対して知識人は責任を持つべき存在です。たとえその神聖性がすべて奪われ、すべて消えたとしても、普遍的な価値をと秩序に対して責任を持つことが、最も重要な精神的な特徴の一つだと考えます。(311)

国家や知識人の問題を抱えている日本にとっても、新天下主義の思想や著者の問題意識から学ぶべきところは多い。そして、新しい普遍的な価値と秩序構築の「可能性」と「可欲性」(ⅵ)について考えること、これが私たち読者に与えられた課題である。