yamachanのメモ

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橋爪大三郎『パワースピーチ入門』

 仕事においてスピーチをすることが多くなると思っていたところ、愛読してきた橋爪大三郎氏の新著『パワースピーチ入門』を本屋でたまたま発見。最近は橋爪氏の著作から遠ざかっていたが、本書は橋爪社会(科)学の実践書とも言えるような内容であり、大変興味深かった。
 橋爪氏は「大事なこと」として、①パワースピーチというものがあることを知っていること、②パワースピーチの実際に触れること、③パワースピーチは人間の問題だと気づくこと、という3点を挙げている(6-7)。特に③について、「パワースピーチは、テクニックを超えたもの」として、「人間としての存在をかけ、人間を磨かなければ、パワースピーチはできない」(7)と指摘している。そして、本書は具体的なパワースピーチやその実践者たちを紹介することで、これらの「大事なこと」を学べるような構成になっている。
 本書で興味深いところは、橋爪氏が「枝葉の議論なのであと回し」(21)にしてかまわないとされている第Ⅰ部だ。第Ⅰ部では「臣民」「市民」「人民」「国民」「国家」「憲法制定権力」「天皇」「自然権」等々の「言葉」を扱い、その意味や論理を説明し、「言葉という武器」(34)の重要性を読者に提示している。そして、「日本語を研ぎ澄まして、同時代を突き抜ける武器とする」ために、「重要な言葉が用いられた西欧語の原典にさかのぼり、その用法を確かめること」と「それらの言葉(だけ)を用いて、戦後日本の現実をまるごと考えてみること」(34-5)を推奨している。これはまさに、言語を重んじ、領域横断的な性質を持つ橋爪社会(科)学の実践と言え、その延長上にパワースピーチがあるということだ。
 そして、スピーチで明らかになることを橋爪氏は次のように列挙している。

・語りかける私は誰か
・語りかけられるあなたがたは誰か
・語りかける私と、語りかけられるあなたがたは、どのような関係にあるのか
・いま直面している課題は何か
・何を目標にし、何を実現したいのか
・そのために、どういう戦略をとるか
・そのためにどういう手段をとるか
・そのために、誰がどのように行動するか
・そのために、どういう困難やコストや被害が生じるか
・いつ目標は実現し、課題は解決するのか
こうしたことを、だらだら説明するのではない。言葉を選んで率直にスピーチすると、これらのことがおのずから明らかになるのだ。(53)

これらが明らかになることで、人びとに対して今考えるべきこと、行動すべきことの「気づき」を与えることができ、それゆえスピーチは「言葉を用いて行う行動」(53)なのだ。
 具体的に言葉の使い方の問題を指摘している箇所も面白い。例えば、僕も仕事の文書ではよく使用する「ただし書き」については、スピーチでは不要なものとして批判している。

「ただし書き」は、言い訳である。役人が責任を取りたくないときに、つけ加える。いや、もうこれは役所の週刊で、それ以外の文章の書き方がない。本人は、責任を取りたくないので「言い訳」をしているという意識すらないのかもしれない。なお恐ろしい。(184)

また、「させていただきます」も同様に責任回避の言い回しであり、その例として「始めさせていただきます」について説明している。

「始める」+「させる」は、自分の行為の源泉が、相手になることを示す。相手が意思し、指示するから、自分が行為する。相手には、そのように指示する力がある。そのように相手を持ち上げつつ、相手に行為の責任を押しつける。…
なぜ「始める」ではなくて、「始めさせていただく」なのか。
結論として言うなら、自己防衛のためである。(249)

 橋爪氏は従来から政治家に対して強い責任を求めているが、それは本書でも同様である。

政治的リーダーは、その社会のすべての人びとと、この重い任務を通じて結びついている。よって言葉で、その任務に応える意思があること、能力があること、方法があることを伝えなければならない。これが、政治的なスピーチの本質である。(269)

重い任務に耐えられないこと、任務に応える意思と能力を持てる状況ではないこと、これらを自身の言葉で伝えたとしても、それはスピーチではないだろう。
 「誰もがスピーチのわざを身につければ、ひとりでも多くの人びとが身につければ、そのなかからきっとすばらしいリーダーが現れる」(270)。そう、受身でリーダーの出現を待ち、お任せするのではなく、まずは私たちから行動を始めなくてはいけない。

パワースピーチ入門 (角川新書)

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