yamachanのメモ

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日本アーレント研究会編『アーレント読本』

 近年では、映画『ハンナ・アーレント』が話題になったり、「新書によるアーレントの入門書が出版され続け」(317)ることで、一般の人びとにもその名を知られるようになったハンナ・アーレントが『読本』シリーズとして刊行された。まず手に取って驚くのが本書のボリュームだ。帯にも書いているように「ベテランから若手まで総勢50名の執筆者」が寄稿している*1
 そして、単にボリュームがあるだけではなく、その中身も充実している。執筆者を見てみると、アーレントの専門家はもちろん、レヴィナスやヨナス、デリダハイデガー、カントなどの専門家の名が並んでいる。これは、「アーレントの思想の最も重要なキーワードの一つといってもいい「複数性(plurality)」」(ⅵ)の「現れ」と言うことができ、この「複数性」も魅力の一つだ。
 本書は、第Ⅰ部「アーレントにおける基本概念」、第Ⅱ部「現代世界におけるアーレント」、第Ⅲ部「各国における受容」、第四部「著作解題」の四部構成であり、「アーレントの著作マップ」や「アーレント略年譜」も収録されており、アーレントについて学ぶ上での最良の一冊となっている。また、第Ⅰ部の基本概念に収録されている論考でも、その概念が現代においてどのような意味があるのかについて議論され、第Ⅱ部の現代的な問題にアーレントを位置づける論考においても、基本的概念に立ち返って議論が展開されている等、本書のどこを読んでも「アーレントの思考がいまだに(あるいはいまこそ)この世界には必要とされているのではないか」という執筆者の「強い信念」(ⅳ)が伝わってくる。例えば、第Ⅰ部の1「愛」では、「現今のコロナ・パンデミックは、人とのつながりと同時に、距離と慎む愛の重みをわれわれに突きつけている」(11)として、「愛」というアーレントの基本概念がアクチュアリティを持っていることが指摘されている。このようなことから、読者は目次を見て、関心のある概念(第Ⅰ部)やトピック(第Ⅱ部)をまずは読んでみたらよい。
 しかし、それでも「なぜアーレントを読むのか?」という問いを持つ人はいるだろう。その問いと向き合っているのが、乙部延剛「政治学アーレントと政治理論」だ。乙部さんは、アーレントの著作・政治理論の意義を次のように語る。

モーゲンソー曰く、アーレントの手にかかると、見慣れた概念がまったく新たな光のもとで世界を照らし出すのだという、敷衍していえば、アーレントは伝統的な政治思想を援用しつつも、それを独自の仕方で用いることで、新たな局面や事例を思考する手がかりとしたのであり、同時に読者にもそのような思考を喚起したのだといえる。
このような思考の異化効果こそ、事実観察の誤りや、あるいは思想史理解の独自性にもかかわらず、アーレントの作品が読み継がれる所以であり、今なおアーレントを読む意義でもあろう。(256)

現在生じている新しい問題に直面した際、「過去の事例の枠内」(255)で理解するのではなく、伝統的な知を援用しつつもそれとは異なる思考で新しい問題と向き合うこと、そのような「エートス」がアーレントを読むことで育まれるのである。そして、アーレントを「複数的に」読むためにも、『アーレント読本』は必読の一冊となるであろう。

アーレント読本

アーレント読本

  • 発売日: 2020/07/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

*1:編者の一人である三浦隆宏さんによると、「研究者としては中堅から若手の部類に入る方々に積極的にご寄稿いただくという方針」を取っているため、「この国のアーレント研究史を語るうえで欠かすことのできない先達である、佐藤和夫、志水紀代子、寺島俊穂、千葉眞といった先生方には、当初から執筆依頼を出していない」(ⅵ)とのこと。