yamachanのメモ

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西山雄二〔編著〕『いま言葉で息をするために-ウイルス時代の人文知』

 本書は、新型コロナウイルスの感染拡大により、人間・社会のあり方が大きく変化していく状況下において、欧米で発表された論考とそれぞれの論考に対する訳者課題を収録したものである。訳者解題では、執筆者の思想や論考に対する解説が論じられており、本書を読み解く上で、つまりは新型コロナウイルスについて考察していく上で参考になる。
 「思想」「文学」「歴史」「宗教」「人類学」という構成からなるが、編著者の西山雄二氏が「はじめに」で整理しているような、「出来事の時間性」や「『家』の意味」といった軸から読み解くのもよいだろう。また、西山氏の「はじめに」では「パンデミックと政治」として、本書には収録されていない、ジョルジョ・アガンベンアラン・バディウ、エティエンヌ・バリバール、マルセル・ゴーシェの発言が取り上げられ、「政治」の問題について論じられているところも興味深い。
 「出来事の時間性」や「『家』の意味」の他、本書で論じられているテーマは、隔離・孤独の問題、生政治、ポスト・ヒューマン、日記というメディア、デジタル技術など多種多様であり、読者の関心に応じて読み進めるとよいだろう。本書を読み通すことで、西山氏が言うように、「ウイルス時代の人間のあり方を浮き彫りにするために、時代を超えて人文知を参照することが有効」(ⅲ)であることを実感できる。また、「歴史は決して繰り返されませんが、そこから学ぶべき教訓はつねにあります」(232)とブルース・キャンベル氏が語っているように、同一の出来事ではなくても歴史から学ぶべきことはあるのだ。
 本書の出版日は2021年8月20日となっているが、出版後の8月23日にジャン=リュック・ナンシーが亡くなった。本書には「別の精神性」という対話と、「生政治症候群」という論考が収録されている。先月には、『あまりに人間的なウイルス』の邦訳が出版されたばかりでもある。本書で注目すべきは、訳者である伊藤潤一郎氏の解題である。伊藤氏が指摘しているように、本書に収録されたナンシーの対談と論考では、「技術-経済的マネジメント」や「技術-経済的な諸力」という権力の様態、つまり「経済技術(エコテクネー)」が重要な論点となっている(42)。この「エコテクネー」について、時事的な問題を取り上げながら解説している伊藤氏の解題は、新型コロナウイルスの問題だけではなく、ナンシーの哲学を理解する上でも非常に重要である。
 新型コロナウイルスによって生み出された状況や危機について、私たちは何かを語ろうとする。このような状況に対する、アレクサンダー・ガルシア・デュットマンの「危機を考察する人々の熱狂的な衝動やお節介」は「あたかもコロナウイルス戴冠式でもあるかのようです」(76)という発言は興味深い。また、「本当の共犯者は、自分たちが守ると称している当のもの、つまり民主主義を安全な場所にしてしまうことでその侵食を早めている人々なのである」(71)という指摘も鋭い。
 本書には、新型コロナウイルス感染拡大に対してどのように対応すべきか、という問いに対する解は書かれていない。しかし、現在の状況をどのように考えることができるのか、という思考の可能性を各論考は読者へ与えてくれる。そして、現在においてはこの思考の可能性こそが重要であり、現場での実践はそこから生まれてくる。ウイルスを通じて、現代、そして未来を考察するために必読の一冊である。