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yamachanのメモ

日々の雑感や文献のメモ等

明晰な思考に従事すること

哲学・思想 読書

フィヒテの『ドイツ国民に告ぐ』関連の話題をもう一つ。

フィヒテ全集 第17巻 ドイツ国民に告ぐ・政治論集

フィヒテ全集 第17巻 ドイツ国民に告ぐ・政治論集

 

フィヒテは、思想家・学者・著述家の他に、青年にも呼び掛けている。

本連続講演は…青年の皆さんに訴えるものである。私は皆さんの仲間であることを止めてすでに久しい。皆さんの方が、卑俗なものを超えたいかなる思想をも受け容れる能力に富み、皆さんの方が、いかなる善いもの優れたものをも捉える感受性に富む。…皆さんのこのような特徴を、より旧い時代に属する多数の人々は全く別に見てる。この人々は皆さんのことを、「僭越だ」、「判断が軽率で不相応で身の程を知らない」、「独善的だ」、「新奇を衒う」と批難する。しかし、彼等は、皆さんのこのような欠点を、〔実は、〕もっぱら寛大な気持ちで微笑みながら見ているのである。彼等は、皆さんの欠点すべてが、ひたすら、世間という一般的な人間的堕落〔の領域〕についての皆さんの知識不足に起因する、と思っている。…〔彼等は、〕将来皆さんの想像力の若々しい炎が消え去りさえすれば、〔また、〕利己心や怠惰や労働嫌忌の一般的であることを皆さんが知れさえすれば、〔また、〕慣れた道程を進むことの甘美を皆さんが一度味わいさえすれば、皆さんの心から、他の誰よりも善良で賢明であろうとする気持ちは、失せてしまうであろう、〔と思っている〕。〔たしかに、〕彼等が、皆さんにそうなって欲しいと期待するのは、根拠の無いことではない。彼等は、同じ期待が自分自身の身で実証されるのを見てきたからである。彼等は、「自分達〔も〕、無知であった青年時代には、皆さんと同様に世界改造<Weltverbesserung>を夢見ていたのであるけれども、成熟するに連れて、皆さんが今日見るような柔和で温和な人間になったのである」と告白するに違いない。(『フィヒテ全集 第17巻』260-261) 

フィヒテの発言で興味深いところは、青年を批難する人たちが、実を言うと、寛大な気持ちで微笑みながら見ている、と指摘している点である。そして、青年を批難し・微笑み人たちも、かつては青年と同じ様な特徴を持っていたであろう、とフィヒテは述べる。簡単にいえば、「俺も昔はそうだった!でも、いろいろと経験してわかったけど、そうじゃないんだよ!」ということである。この気持ちはよくわかる。しかし、フィヒテはここから次のように檄を飛ばす。

私自身の特に長いとも言えない経験の中ですでに、最初は別の希望を懐いた青年達が、後になると、老人の上述のような好意的期待に完全に合致するのを、見聞きしてきた。〔しかし、〕青年の皆さん、もはやこうしたことを〔繰り返〕してはならない。と言うのも、そんなことをしていたのでは、一体いかにしてより良い世代が始まりえようか?たしかに、〔歳と共に〕青年の光沢は、皆さんから剥がれ落ちていくであろうし、皆さんの想像力の炎は、自分ではその勢いを維持しえなくなっていくであろう。しかし、〔皆さんは、〕この炎を持ち続けて戴きたい、明晰な思考によってその勢いを強めて戴きたい。そうすれば、皆さんは、それに添えて、人間の最も美しい装飾である性格をも手に入れることになる。明晰な思考に従事することで皆さんは永遠の青春の源を維持することになる。…皆さんに熟考して戴くべく提示した問題について、皆さんは明晰に思考して戴きたい。一つの点において皆さんに明晰性が萌すならば、それは、次第に、他の全ての点へも拡がっていくであろう。(261-262)

つまり、フィヒテは、より良い世代が始まるために、「俺も昔はそうだった!でも、いろいろと経験してわかったけど、そうじゃないんだよ!」というサイクルを止めるよう、青年に訴えているのである。重要なことは、旧い世代の言葉や考えを無視することではなく、明晰な思考によってそのサイクルを止める=想像力の炎を持ち続けるように訴えていることである。

昨今のデモや選挙運動といった行動の背景にどれだけの明晰な思考があるのかわからないし、思考だけでは目の前にある悪しき行動に対抗することはできないかもしれない。しかし、フィヒテが指摘しているように、一つの点において明晰に思考をすることは、あらゆる点において明晰に思考することにつながっていく。この明晰な思考の連鎖・拡大にこそ、賭けるべきだと思う。