yamachanのメモ

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リー・マッキンタイア『ポストトゥルース』

 2016年、ブレグジット投票とアメリカ大統領選挙を背景に、オックスフォード大学出版局辞典部門が今年の一語にノミネートした「ポストトゥルース」という現象が、世界中の注目を集めた。著者のマッキンタイアは、ポストトゥルースとは「何か」を問うとともに、「なぜこれが今起こっているのか」(30)を問い、その形成プロセスを辿っていく。そこで著者が注目するのは、政治的文脈と科学否定論である。著者はこのように述べる。

ポストトゥルースという考えにおいては真実が異議申し立てを受けているという側面ではなく、政治的な優位を主張するための手段として真実への異議申し立てがなされているという側面が顕著なのである。(12-3)

ポストトゥルースとは真実が存在しないという主張ではなく、事実がわたしたちの政治的視点に従属するという主張なのだという感覚を抱くだろう。(30)

このようなポストトゥルース的戦略は「政治支配のための秘訣」であるが、このような状況に対して著者は異議申し立てをする必要があり、そのための第一歩は、ポストトゥルースが発生した由来を理解することであるとして歴史を遡っていく。
 そこでキーワードになるのが「科学の否定」であり、1950年代のタバコ戦略や地球温暖化に抗するキャンペーンを取り上げ、「これらの事例からの教訓は、今日の政治家にとっても失われていないはずだ」(54)として、次のように指摘する。

党派性が想定される環境においては、多くの場合エビデンスを見るよりもむしろ「チームメンバーを選ぶ」だけで十分であって、そこでは誤った情報が公然と広まり、事実検証が軽んじられることがある。自分の立場を支える事実を選択して使用することと、そうでない事実を完全に拒絶することが、新たなポストトゥルース的現実を生み出す本質的な要素であるように思える。(54)

そして、「イデオロギーが科学に勝利する(trump)ような世界においては、ポストトゥルースが次に不可避な段階としてやってくる」(55)のだ。
 また、もう一つのキーワードが「認知バイアス」であり、著者が注目するのは「バックファイアー効果」と「ダニング=クルーガー効果」である(66)。ここで重要なのは、「もっとも熱心な支持者でさえ、継続的に誤りを正すエビデンスにさらされたあとでは、最終的に「転換点」に到達し、自分たちの信念を変える」(75)という指摘だ。そして、かつて認知バイアスは「他人との交流によって改善されていたのかもしれない」(82)が、現代のメディア状況においては反対意見から隔離されており、その結果、ポストトゥルースに対して「もろい存在となってしまう」(86)とも指摘されている。
 これらの探求を通じて「わたしにとって重要なのは、事実が重要でない世界で生きために順応する仕方を学ぶことではなく、真実〔真理〕の概念のために立ち上がり、反撃する仕方を学ぶことである」(199)と著者は語る。

嘘に異を唱えるために重要なことは、嘘つきを説得しないことである。…最低でも、嘘をそれが嘘だと証言し、嘘とあるがままのものを引き比べることが重要である。ポストトゥルースの時代において、わたしたちは事実問題をあいまいにする個々の試みにすべてに異を唱え、嘘が腐敗し悪化する前にそれに挑まなければならない。(200)

事実して正しい情報で繰り返し「つよい印象を与える」ことで、党派的で偏った考えを変化させることができると気がついた。不都合な事実によって人々を説得することは簡単ではないかもしれない。しかしどうやら可能なようだ。(204)

ポストトゥルースに抵抗するもっとも肝心な方法は、わたしたち自身のうちにあるポストトゥルースと戦うことだ、というものだ。(207)

誰かがわたしたちに嘘をついても、わたしたちは彼ないし彼女を信じるかどうかを選べるし、あらゆる虚偽に異を唱えることができる。誰かがわたしたちの目をくらませようとしている世界に対してどのように反応すべきか。これは、わたしたちが決定できることだ。つねにそうであったように、真実はいまだに重要である。(217)

著者が掲げるポストトゥルースへの対抗戦略はシンプルなものであるが、粘り強さや根気、そして真実への「信」が必要となる。現代日本の政治状況においては、このシンプルな対抗戦略ですらも困難な道かもしれない。私は、この困難な道を歩むためには、「知」こそが必要になると思う。この点において、監訳者である大橋完太郎氏による附論「解釈の不安とレトリックの誕生-フランス・ポストモダニズムの北米展開と「ポストトゥルース」」は必読であろう。本書の第六章もそうであるが、ポストモダニズムを再考するために参考となる一冊でもある。

ポストトゥルース

ポストトゥルース