yamachanのメモ

日々の雑感や文献のメモ等

「超越論的」という訳語について

「Transzendental」に「超越論的」という訳語を与えたのは『「いき」の構造』(一九三〇年)の哲学者九鬼周造(一八八八-一九四一)であるが、たんに「超越」ではなく、「論」が付加されているところに九鬼の工夫があった。つまり、中世哲学や講壇哲学の場合のようにそのような普遍的な概念が存在するということを天下りで受け容れることができず、経験一般にあてはまる概念が経験に先立ってどのような仕方で存立しうるかということそれ自体を、まず明らかにするという段階こそがカント哲学の当面の課題なのである。つまり、カントの「Transzendentalphilosophie」では、その種の普遍性の存在自体を明らかにすることからまず着手されねばならなかったのである。『純粋理性批判』でのカントの探求がこの段階に対応していることを明示するために、超越そのものではなく「超越論」という訳語がふさわしい、と九鬼は判断したのである。(福谷茂「カント」『哲学の歴史 7』134)