yamachanのメモ

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ロバート・ブランダム『プラグマティズムはどこから来て、どこへ行くのか』

 現代プラグマティズムを代表する思想家であるロバート・ブランダムが、邦訳タイトルが示している通り、プラグマティズムの過去から未来を描き出した、重量級の書物だ。ブランダム自身は序章において次のように語っている。

ドイツ観念論において際立っているいくつかの思想から古典的アメリカン・プラグマティズムの核心にある発想へと至り、そしてそこから、言説性をめぐる復活した合理論とそうした発想との待望の統合へと向かう思想の流れを、〔現代の視点から〕回顧的に、そして合理的に再構成した。私自身の仕事の多くは、そういった合理論的プラグマティズムの一形式を導き出す努力というかたちをとってきた。(上55)

このような記述と「ドイツ観念論からアメリカン・プラグマティズムへ-そして再びドイツ観念論へ」という序章タイトルからも、ブランダムの思想の背景にあるヘーゲルの円環の思考が垣間見える。ブランダムによると、プラグマティズムは「多様な哲学者たちを関係づけるもの」(上ⅲ)であり、そのプロセスが描かれているのも本書の魅力だ。
 タイトルや目次を見るだけでも、そして邦訳の少ないブランダムの著作を日本語で読めるというだけでも読書欲が刺激されるが、私のように哲学の専門家でも研究者でもない読者にとって、本文を読むだけでは、現代プラグマティズムとはどのようなものなのか、そして「どこから来て、どこへ行くのか」ということを読み解くのが困難だと思われる。そこで、まずは訳者解説の次の説明を頭に入れておくとよい。

本書はブランダムがドイツ観念論プラグマティズムをどのように引き受けているのかを披瀝し(序章、第一章、第二章、第三章)、わけてもローティの思想をどのように継承しているのかを述べ(第四章、第五章)、その上でブランダム独自の「分析プラグマティズム」によって分析哲学の更新を提案し(第六章)、さらに同時代のネオプラグマティスとたちとブランダムと(そしてローティと)の立ち位置を整理して示している(第七章)。(下213)

その後に、翻訳の担当者が章ごとに内容を紹介している箇所を読み、「本書全体を概観する内容を含む」(下213)序章を読むことをオススメする。そこから読者が関心を持つ章を読み進んでいけばよい。
 私が個人的に特に関心を持ったのは、「信」や「政治的信念」(83)について語られている第一章と、哲学的探求からの政治的帰結や政治理論を論じている第五章だ。ブランダムは「政治」について発言することはほとんどないということを聞いたことがあったが、本書ではこれらの章をはじめとして「政治」に言及する箇所があり、これも魅力の一つだ。例えば、ブランダムはこのように語っている。

(人間に備わっているもののうちで道徳的に、そして究極的には政治的に)重要なのは、私たち言説的生物の一人ひとりが備える、かつて誰も言わなかったこと、さらには私たちが言わなければ決して言われることはなかっただろうことを述べる能力なのだ。それは私たちがそのただなかで生活し、動き回り、自らの存在を保つところのボキャブラリーを変形する能力であり、それゆえ(私たちのような生物にとっての)存在の新たなあり方を創造する能力なのである。(下77)

このようなブランダムの「政治」観の背景にあるのは…というような関心を持って他の章を読んでいくことで、ブランダムの思想へ挑むこととなるのだ。このように、関心のあるテーマから読み進めていくことが、本書をそしてブランダムを理解する一つの方法であろう。
 『プラグマティズムはどこから来て、どこへ行くのか』においては、ブランダムも訳者も、本書とブランダムのその他の著作との関係について何度も言及している。そのような意味でも、現代プラグマティズムだけではなく、「ブランダムを理解するための様々な視点をも効果的に与えてくれる書となっている」(下213)。プラグマティズムは、そしてブランダムは「どこから来て、どこへ行くのか」、多くの読者がこの冒険に誘われることになるだろう。