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ナディア・ウルビナティ『歪められたデモクラシー 意見、真実、そして人民』

 本書は、代表制デモクラシーの原理と意義を示しつつ、現代におけるその「歪み」を描いている。政治思想史・政治理論の記述が多いものの、決して抽象的な内容に留まることなく、デモクラシーが現実に直面している問題として頷きながら読むことができる。
 まず、ウルビナティによると、代表制デモクラシーには「意志」と「意見」の二頭政的な構造がある。「意志」とは「権威のある意志決定を統制する投票権、手続き、そして制度を意味」し、「意見」とは「政治的意見の制度外的な圏域を意味」している(2)。そして、これらは「デモクラシーにおける主権者のふたつの権力」であり、「継続的なコミュニケーションが必要だが、それらは異なっており、区別されつづけるべき」(26)である。
 ここでウルビナティは「意見」の領域に注目し、三つの歪みの形式が現れることを指摘している。その三つの歪みとは、①熟議の認知論的で非政治的な歪曲、②代表制デモクラシーに対抗するポピュリズムの反動、③観衆によるプレビシットである(2)。そして、これら三つの歪みはそれぞれ別のものではあるが、関連しあっている。例えば、①と②は、「民主的権威の正統性を「真理」や手続き以前の「人びと」のような、政治過程の外側にある参照点から判断」し、「代表制デモクラシーの二頭政的な構造を変形」するという性質を持つ(153)。
 本書で特に注目すべきは③の観衆のプレビシットである。①と②は代表制デモクラシーの二頭政的構造を疑問視するが、③はその構造を受け入れる-しかし、「それは、その機能のひとつを悪用したり誇張したりすることで、公共的なフォーラムの役割を再解釈する」(207)仕方で。具体的には、フォーラムは「聞くことではなく見ること」(243)が参加の核心的な意味となる。そして、この「目に見えるデモクラシー」(246)は、統治する者とされる者との権力の不平等な関係を受け入れる。こうして、「観衆のプレビシットは腐敗を助長する」(253)のである。
 ウルビナティは、このように意見のフォーラム・公共的フォーラムが歪められている状況に対して、次のように述べる。

政治的な存在についての私たちの理解にフォーラムがいったん組み込まれたなら、デモクラシーは意見形成の状態の問題に進まなければならない。政治的意志の決定への平等な関与についての市民の権利(一人一票)は、情報提供を受ける市民の平等な機会と、意見形成し、表明し、発信し、そしてそれに公共的な重要さと影響を与える機会とともにあるべきだ。(274)

 「透明性の要請、指導者の生活への情報侵入、そして観衆への直接的なアピールは、メディアが主張する監視の要求であるにもかかわらず、権力を効果的に制限できない」(279)というのは、現代日本を生きる私たちにとっても重要な指摘である。デモクラシーを思想的・理論的に学ぶことができ、また、現実を見つめ直す視座を提供してくれる一冊でもある。