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塩田潤『危機の時代の市民と政党-アイスランドのラディカル・デモクラシー』

 これほど本格的にアイスランドの政治社会を論じた研究書はおそらくないだろう。「地域研究は他の学問分野に比して、潜在的に分野横断的、学際的性質が高い」(25)という言葉通り、アイスランドの民主主義の動態を理論的・実証的に、そして領域横断的に描いている。
 「私とアイスランドの出会いはほとんど偶然的なものであった」(268)とのことだが、塩田さんの「「アカデミア」と「路上」」での(269)経験が、アイスランドという地域研究に向かわせたのには必然性を感じる。そして、「危機の時代における政党民主主義の動態を捉えることこそ、本書の課題である」(20)とあるように、本研究の射程はアイスランドに留まらない。現代民主主義の限界と可能性を捉えるために、アイスランドに目を向ける必然性があるのだ。
 本書はアイスランドの政治支配体制を論じた上で、ポスト金融危機憲法改正の取り組みと、ポスト金融危機後に設立されたアイスランド海賊党について分析している。憲法改正の分析においては、脱政党的政治参加の可能性だけではなく、その困難を明らかにしている点が重要である。「アイスランドの事例は市民による政党的政治参加の豊かな実践例であると同時に、そうした市民の政治参加を通して目指された憲法改正という目標が、既存の制度的代表者たちに阻まれた事例でもある」(94)のだ。憲法改正の熟議的側面だけでは捉えることのできない民主主義の動態を、政党政治との関係性を視野に入れることで見事に描いている。
 そして、憲法改正のための市民熟議が「アイスランド海賊党の集合的アイデンティティ構築に寄与した」点が明らかにされ、「市民熟議は政党なき民主主義の流れを加速させるのではなく、むしろ政党中心の民主主義にとっての推進力にさえなりうる」(163)ことが示される。また、アイスランド海賊党の組織的特徴として、特定のイデオロギーを持たず、敵対的性格が強いことが挙げられており、著者はこれを「下からのポピュリズム」(213)と呼んでいる。
 「下からのポピュリズムとはエリートによる支配的な言説枠組みに抗して、市民がつくり上げる枠組みを用いたポピュリズム」(234)であり、この下からのポピュリズムによって台頭している運動政党から、政党政治研究における「有権者の合理主義的アプローチの見直し」(241-2)と「受動的で固定的な有権者像の刷新」(242)を提示している。そして、ここから「ラディカル・デモクラシー」の契機を見出す。

ラディカル・デモクラシーの描く「オルタナティブな民主主義」とは現行の民主主義やそのシステムを再民主化し続けるなかに立ち現れるものだと言える。したがって、いま眼前にある現実を直視し、そこから民主的な社会を目指して繰り返し、繰り返し行為することそのものがラディカル・デモクラシー的な実践にほかならないのだ。(250)

 本書で描かれたアイスランドの政治的取り組みは、「ラディカル・デモクラシー的な実践にほかならない」(257)と言えるだろう。「アイスランドの経験が示唆しているのは、制度内外での市民による批判的政治介入こそが、政党の代表機能を活性化させる契機となるということ」(257)なのだ。著者が主張するように、「私たちは政党を放棄するのではなく、政党を民主主義のさらなる民主化に向けた足場としなければならない」(261)。

開かれた未来に向けて、つねにその可能性に賭けて行為し続けることができる、私たちはまだ他者とともに生きようとすることができるか、一人ひとりの生が問われている。私たちの行為、ただそれのみが私たちの住む世界を変革する。だからこそ、私たちはまた跳び、踊るのである。(264)

繰り返そう。本書の研究対象はアイスランドであるが、その射程は私たちにまで及ぶ。優れた地域研究とはそういうものであろう。「終わったなら始めよう」(269)、今こそこの言葉を思い返すべきだ。民主主義の動態と政治への希望を描いた必読の一冊である。