yamachanのメモ

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重田園江『統治の抗争史-フーコー講義1978-79』

 私が学生時代の頃、「セキュリティ」は社会学政治学において注目されたテーマの一つであり、その中でミシェル・フーコーは「生権力」や「規律権力」といった概念を通じて知った人物であった。そこでのフーコーは「使う」ものであり、「読む」ものではなかった。そんな私にとって、フーコー講義録の「一つの道案内として、あるいは辞書代わり」(ⅳ-ⅴ)となる重田園江『抗争の統治史』は、非常に有難く、参考になる一冊である。
 本書は、『安全・領土・人口』と『生政治の誕生』を中心に取り上げ、様々なキーワード・対象ごとに章立て、フーコーの議論を追っていくことで、「全体像を浮かび上がらせる」(ⅴ)ものである。また、フーコーの議論を追うために、それらキーワードや対象について多くの書誌を取り上げ掘り下げていくことで、「一七・一八世紀の西欧思想の読書案内」(ⅲ)にもなっている。
 フーコーを「読む」ためには、フーコーの方法・発想を理解することが重要であり、本書を読むと次のような「概念史」が背景にあることが分かる。

フーコーにとって概念史とは、単に新しい概念が重要な語句としてあるいは術語として使用されるようになる過程ではない。さまざまな意味や用例が競い合う中で、ある特定の意味が自己主張し、意味を占有し、他の意味を駆逐する。それに対して別の用例や意味が自己主張を行い、簒奪された語の奪還を求める、終わりなき闘争なのである。(482-3)

 また、「統計」や「確率」といったフーコーが多くを語らなかったことについて、議論を掘り下げることで、統治に対する理解を促している点も注目すべきところである。フーコーの研究書に留まらない、統治研究としての意義がここにある。
 序章には、『安全・領土・人口』と『生政治の誕生』の講義の一回ごとの概要と、それぞれに対応する本書の章が示されている(6-9)。該当する章を読みつつ、講義録を読んでいくことで、フーコーに対する理解、各テーマに対する理解を深めることができ、それらの理解を通じて歴史を学び、現代社会が直面する問題について考えるためのヒントを学ぶことができるであろう。

統治の抗争史: フーコー講義1978-79

統治の抗争史: フーコー講義1978-79