yamachanのメモ

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カントとショーペンハウアーの「感性」「悟性」「理性」(『意志と表象としての世界』訳者注)

 カントは感性を直観の能力とし、悟性を思惟の能力としたが、ショーペンハウアーは悟性を直観の能力と考えている。カントによれば、悟性は人間が概念を用いて思惟する能力のことであるが、ショーペンハウアーによれば、概念を用いる能力はもっぱら理性のみであるとされている。…

…カントによれば雑多な現実をなんらかの概念で統一的にとらえるのが、悟性による思惟の働きである。だが概念といっても、経験世界の事物に現実に対応する概念もあれば、因果性のように、事物と事物との間に因果性という概念が考えられるだけで、現実の事物に対応を見出せない概念もある。カントは後者を、経験的な諸概念と区別して、純粋概念とよぶ。この純粋概念を用いて、さまざまな直観の内容を統一する能力を、カントは「純粋悟性」とよんだのである。

しかし、ショーペンハウアーの場合には、悟性は、カントの言うような意味には用いられておらず、なにかをぱっと見て悟るという直覚的・直観的な能力であると定められている。(ショーペンハウアー『意志と表象としての世界Ⅰ』31-2)