〇『ショーペンハウアー全集9』
将来のいつか、わたしの著作が人びとに読まれるという時代が訪れるなら、わたしの哲学とはいわば百の市門をもつテーベの都であることが明らかになるであろう。いずれの方角からも入場が可能であり、どの門を通ってもまっすぐに中心点にまで到達することができるのである。(12)
〇ジャック・デリダ『絵画における真理 上』
一冊の書物の場合はどうなのか。しかも、それが哲学の書物である場合には。それがカント的な意味での形而上学の書物であれば、したがって、純粋哲学の書物であれば、人は権利上どこからなりとそれに接近することができる。なにしろ、それは一種の建築物なのだから。…人はどこからでも始めることができるし、どんな順序に従うこともできるはずである。(82)