yamachanのメモ

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大澤真幸「第三者の媒介で「新しい自由」を切り開け」(『論座2005.7』)

大澤真幸氏は、リベラリズムを「自由を、(他者の同様な)自由とは異なる根拠によって抑圧すべきではないとする思想」(46)と定義し、リベラリズムの理念として「個人がこの経験的世界で帯びる偶発的な性質を無化し、還元すること」(48)を提示している。

しかし、偶然性は「他の性質でもありえた」というものであり、「その「他でもありうる」という差異性によって連帯することができる」(49)ため、多様な価値観を肯定するリベラリズムにとって廃棄すべきものではないと大澤氏は指摘する。そして、「来るべきリベラリズム」は、「先験的な選択の反復、言ってみれば、先天的な性格の「選びなおし」を含むようなリベラリズムである」(50)と述べる。

この「先験的選択」とは、あるタイプの他者、つまり「第三者の審級」の存在を前提にした社会的効果であり、それゆえに自由は本質的に社会的なものとなる。大澤氏は、第三者の審級=媒介者を、安保理改革と歴史認識問題へと応用し、具体的な実践方法を提案する。そのうえで次のように指摘する。

ここで述べた先験的な選択の反復(選びなおし)とは、そのたびに、新たな犠牲を通じて、新しい権威、新しい価値観、新しい第三者の審級を生成する現場に立ち会うことである。鍵は、問う他者、問う媒介者だ。言い換えれば、ここに提案したような作為的な設定がなくても、そこに存在するだけでわれわれに問うてくる他者がいれば、同じメカニズムは作用する。(56)

そして、「他者に人間的に-というかむしろ身体的に-接してなされる贈与や援助」(56)を、自由の行使の至高の一例として提示している。この思考から大澤氏が導き出す「できるだけ(他者たちの)近くへと進出しうる「贈与の部隊」」(56)は、ウクライナ情勢を考える上でも参照すべき議論である。