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伊藤恭彦「税と平等」(新村聡・田上孝一[編著]『平等の哲学入門』)

 「租税は平等を実現するための(多くの場合、不平等な)手段なのである」(369)と、税がもたらす平等/不平等について著者は論じている。つまり、課税は不平等であるが、この不平等な課税は、平等という社会状態を実現する限りにおいて正当化されるということだ。
 そこでまず注目されるのが所得への課税である。所得に対する累進課税は不平等な課税である。しかし、ヘンリー・サイモンズが「自由を実現するためには各個人がもっている力(power)を拡散させる必要があり、そのために平等という規範が意味をもつ」(362)と考えたように、累進課税は形式的には不平等であっても、平等という価値を重視している。サイモンズが自身の立場をリバタリアニズムとしている点も興味深い。「リバタリアニズムの倫理は自由に特別な場所を与えるだけでなく、平等や正義にも同等の場所を与える」(361)というのだ。つまり、自由な社会のためにこそ平等化が必要となる。
 一方、サイモンズは所得に注目するものの、資産(ストック)に対する課税については関心を示していない。この資産の不平等に対してはジョン・ロールズを参照し、「資産に対する課税の正当性は「政治的自由の公正な価値」に関わる」(365)と述べる。つまり、政治的自由のために経済的平等の推進が必要であり、その手段として租税が位置づけられる。
 このように、サイモンズ(所得ベース)とロールズ(資産ベース)においては「自由の条件の平等を達成するために不平等な課税が正当化されている」(366)といえよう。また、富移転税に関しては、機会の平等のために移転された富への課税を位置づけるジェニファー・バード-ポーラン、資産相続によって生じる経済的分断を避けるために遺産への課税を正当化するダニエル・ハリデーなども取り上げられている。
 課税の不平等を正当化するためには、不平等な課税を通じて実現すべき価値や社会状態についての合意が必要となる。しかし、価値が多元化した社会では、理想的社会に対する合意は困難である。一方で、「避けるべき社会悪に対して合意を調達することは、理想について合意するよりは難しさが少ないといえる」(370)と著者は語る。避けるべき社会悪とは「人間の尊厳の損傷」(371)であり、それを避けるためには弱者への経済的支援と、不平等な社会構造=人間の尊厳を傷つける社会構造の改革が必要となる。さらに、タックスヘイブンを使った租税回避から生じる新しい逆進性に対しても、グローバルな課税が構想されるべきと著者は主張する。
 現在の社会は、「避けるべき社会悪」に対する合意すらも困難なほどに分断されているかもしれない。そのような社会だからこそ、本論文のような税制をめぐる公共的議論が必要となろう。