yamachanのメモ

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五十嵐敬喜『土地は誰のものか-人口減少時代の所有と利用』

 近年の土地基本法の改正や土地関連法の整備を見渡しつつ、これら土地政策の根源にある課題は、「所有権の絶対的自由」(31)にあると五十嵐氏は指摘する。公共の福祉の観点から、旧土地基本法は「絶対的土地所有権」を制限し、新土地基本法は「管理」を強化するものであるが、その実効性は「岩盤のような固い「土地所有権の自由」の前に、翻弄されてしまうのではないかという心配がある」(61)というのだ。
 市民感覚としては、日本における土地所有権の本質が「絶対的自由」であると言われたら違和感を持つかもしれないが、歴史的観点と各国との比較を通じて、その本質を明らかにしていく。そして、明治憲法の制定によって確立された「近代的土地所有権」は、「昭和憲法のもとでも、ほぼ原形を保ったまま維持されてきた」(97)として、次のように述べる。

土地基本法は、近代的土地所有権について「開発抑制」の観点から修正を加えるものであり、今回の新土地基本法は「管理」の観点からそれにさらなる修正を加えるものであったが、その底流には依然として明治維新以来の「近代的土地所有権」が生きていて、この新旧土地基本法は、その枠の中での修正であることを再度確認しておきたい。(97-8)

 また、「戦後土地所有権を一言で言えば、昭和に入って高度経済成長と日本列島改造によって、土地は居住や生産のためにあるという根本が失われ、「商品」つまり売買あるいは開発によって最大限の利潤を生むものになった」(112)とも指摘している。このような土地の使用、収益、処分の自由が、不明土地や空き地・空き家の増大といった事態を招いているのである。
 このような課題に対して、「都市再生事業とコンパクトシティ」「東日本大震災復興と新都市の建設」、国土交通省の「国土の長期展望」、そして岸田内閣によって推進されている「デジタル田園都市国家構想」といった取組みを取り上げている。岸田内閣の掲げる「デジタル田園都市国家構想」に対しては、「なんとも言えない「不安」や「可笑しさ」が付きまとう」(185)、「自立・自治の構想はほとんど見られない」(205)等、手厳しい評価だ。しかし、人びとが豊かで幸福な生活を送るためのモデルの一つが「田園都市」である。

田園都市は、同じ志を持つ人々が、一人ひとりは自由でありながら、全体的には都市の秩序、すなわち「職住一体、美しい都市、利益の共同体還元」という大きな目標とルールを共有しながら、参加し、創り上げていくものであった。(215)

そして、この田園都市の基盤となるのが「現代総有」であると著者は指摘する。「現代総有とは、個人の所有権は尊重するが…、その利用は結束した共同体が主体となり共同で行うというもの」(216)であり、土地や建物の所有権と共同利用について法律上の根拠を持つものである。人々が豊かで幸福な生活を営むために、この現代総有という地域住民が中心となる「運動」(230)が重要となる。
 本書は次のように締め括られる。

司馬(遼太郎)は土地所有権について、土地は権力・統治者(国家)のものでも、また個人のものでもない。土地は「公」であると断言した。この「公」は、いきなり天から降ってくるのではなく、「地縁(地域)、職場縁(会社)、人愛縁(知人、友人)、互助縁(ボランティア)、共住縁(集合住宅)」を強化し、維持していかなければ、創り出すことができないのである。(248)

国家でも国民でもない「公」の領域(=公共性)については様々な議論があるが、この「公」を「土地」という視座から捉え直す上で、必読の一冊といえよう。